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札幌オリンピック・追記

2011-12-11 12:41:02 | 札幌オリンピック ...

 


        3年前に取上げた、札幌オリンピックの選手村

     もうちょっと詳しく調べたいと思い、某オークションで入手しました。

      
第11回オリンピック冬季大会 札幌市報告書
                 

  この本は、札幌市総務局オリンピック整理室(現在は解散)が発行したもので、オリンピックの招致・
 大会の準備と実施・市民の協力・施設のあと利用と処理・大会の成果 の項に分けて記述されていて
 札幌オリンピックに関するあらゆる事項が記載されています。

            併せて、札幌市中央図書館に行って調べてきました。


      以前の記事の補完という意味合いで再度、オリンピック村について紹介したいと思います。


       まずは、札幌オリンピック開催時のオリンピック村の写真を。
      
     
                         配置図
     
                                  
  


   男子選手村

     こちらは、以前の記事でも紹介しましたが 「UR都市機構 五輪団地」 として現存しています。
             (建設当時 日本住宅公団 昭和46年9月16日完成)
     
    現在は22棟建っていますが(3・20・21号棟はオリンピック後に建設)、オリンピック当時は19棟
   が男子選手村として使われました。
    (2DK550戸・3DK90戸)

     ですが、5号棟は外人プレスハウス(報道関係者の宿舎)として使われたようです。(2DK50戸)
             (建設当時 日本住宅公団  昭和46年9月16日完成)
        

 

  診療所

   現在はUR 五輪団地管理事務所として使用されている建物は、オリンピックの時は診療所として使用されました。
  現存している建物の左側に仮設の建物が作られ渡り廊下で結ばれていました。
  オリンピック終了後、仮設の建物は撤去され現在は公園になっています。
         (建設当時 日本住宅公団  昭和46年10月30日完成)
        
        
   

      現在、20号棟が建っている辺り(オリンピック終了後に建てられた)には、イオン浴と呼ばれる施設がありました。
        
                 どのようなものかは、こちらをご覧ください。

                イオンハウス こちら



  女子選手村

   こちらも、以前の記事でも紹介しましたがオリンピック開催時は、H1・H2棟が女子選手村として利用されました。
   (3DK110戸と4DK22戸 H3棟はオリンピック終了後に建設されました)
   
  オリンピック村の周りにもフェンスがめぐらされていたのですが、女子選手村は、さらに二重のフェンスが
 めぐらされて別格の扱いだったそうです。
  
  
         H1/H2棟はオリンピック終了後は分譲住宅として売り出されました。
          (建設当時 日本住宅公団  昭和46年11月10日完成)
                  

    フィギュアスケート女子シングルで銅メダルを獲得した、アメリカのジャネット・リン(一番右)
            
  銀盤の妖精・札幌の恋人と呼ばれた彼女が、Peace & Love と選手村の自分の部屋に落書き(メッセージ)を
 残したと言われるのが、H2棟。
                   
      


  プレスハウス(M棟)

 
 こちらも、以前の記事でも紹介しましたが、外国人プレスハウスとして使用されました。
         (3DK60戸と4DK50戸 前述の2DK50戸は除く)
        
       
      オリンピック終了後は、分譲住宅として売り出されました。
     (建設当時 日本住宅公団  昭和46年10月30日完成)
               
       
  M棟は6棟建っているのですが、調べた所 M3棟は、オリンピック村従業員宿舎として使用された事が解りました。
              
 従業員宿舎は、このM3棟(30戸)の他に、男子選手村のどこか調べきれなかった(2DK・5戸)と女子選手村(3DK・20戸と
 4Dk・4戸)に設けられたそうです。女子選手村の従業員宿舎は主に通訳用として使用されたそうです。

 



   オリンピック村運営本部


 
   この施設は、オリンピック大会期間中の選手・役員に対する宿泊関連事務やサービス面での窓口として
 設けられました。

  正面のメインゲートから右手には、競技場に向かう選手用のバス待合室・面会室・電信電話局・郵便局・
 記者クラブ室・インタビュー室が設けられました。
  左手には、村長室・事務室・保税倉庫・日通事務室・警備員詰所・営繕詰所などが設けられました。
      
  オリンピック終了後は撤去されて現在は、真駒内緑町団地という北海道住宅供給公社が施工した分譲住宅が
 建っています。



          
 オリンピック当時の写真  右   運営本部 (手前のプレハブではありません)  昭和46年12月 7日完成
                                                      昭和47年 5月31日撤去
 
 

                                  左   選手・役員食堂                 昭和46年10月30日完成 
                                                    昭和47年 5月15日撤去
      
                                         写真  第11回オリンピック冬季大会 札幌市報告書より



  
選手・役員食堂

 
  この施設は、各国の生活や宗教上の食習慣の相違に対応する為に、4ブロックに分けられたそうです。
 それぞれ228席ずつ計912席が同時使用の人数で、2.5交代で食事が提供されたそうです。

  またプレスマンの為の食堂(200席・3交代)もあったそうです。

  オリンピック終了後は撤去されて跡地は、真駒内五輪公園まこまないみどりまち保育園になっています。
       
       


  
   上記の施設が設置されたのがAブロックと呼ばれる宿泊施設部分でした。


  Bブロックと呼ばれるサービス・レクリエーション施設が、地下鉄真駒内駅前の通りを挟んだ向こう側に
 設けられました。


   村内銀行及びショッピングセンター

  一階部分にはスーパーマーケットが開店し、選手たちの為の土産物店舗や日常用品店が入居しました。
 北海道拓殖銀行(1998年経営破たん・北洋銀行に営業譲渡)が外貨両替を行いました。

  二階は、理容室・美容室・喫茶室やラウンジ・選手たちがダンスを楽しめるホールなどが設けられました。

   オリンピック終了後は、クリスタルタウンという名前のショッピングセンターになりましたが、1990年に建て替え
  られ現在は、ミュークリスタルという名前のショッピングセンターになっています。
            (完成当時 北海道土地(株)  昭和46年12月15日完成)
                           
                                                  写真    真駒内物語より

         
         



    
サービスセンター

 
 将来、小学校施設として利用される予定の建物を使用しました。

   校舎部分には、卓球室・ビリヤード・読書室・会議場・サウナ・従業員食堂が、体育館は劇場に利用されました。

   オリンピック終了後は、暫定的に札幌市南区役所として使用された後、札幌市立真駒内緑小学校として開校
  しました。
       (完成当時 (株)札幌振興公社)
           
  周辺の児童数減少により真駒内南小学校と統合され、来年の4月には札幌市立真駒内桜山小学校と改称する
  予定です。(校舎は真駒内南小を使用)


         
AブロックとBブロックを結んでいた歩道橋がありましたが、現在は撤去されています。
                             
                              
 写真    真駒内物語より

                      
 また、Bブロックもフェンスで囲まれていたそうです。


     



 
   番外編


   
地域暖房ボイラープラント


   冬季のオリンピック、当然暖房が必要です。
 ばい煙による公害問題、大気汚染の抜本的対策として地域暖房が採用されました。
 
  高温水をボイラープラントで作り、強力なポンプで供給区域内に埋設された分配管に送込み供給されると
 言うものです。

  選手村に暖房を供給したボイラープラントは現在も存在し、真駒内緑小の隣・札幌市南区役所裏にあります。

  オリンピック後も真駒内地区は北海道地域暖房(株)による熱供給が行われており、現在は駒岡清掃工場の
 ごみ焼却熱を熱源としています。(真駒内のボイラープラントはサブプラントとして使用されています)
   
           
   
  

             以前の記事をかな~り補完しました・・・。

      約半月をかけて、資料探し、写真撮影を行った渾身の記事です。

          ご感想をお寄せいただければ幸いです。
  

 

コメント
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