赤井川と言うと、札幌近郊のkiroroリゾートのある、赤井川村を連想してしまうのですが
赤井川村には鉄道は通ってません・・・。
赤井川駅
(茅部郡森町字赤井川)
ちなみに「余市郡赤井川村」と「茅部郡森町赤井川」の地名の由来は同じで
アイヌ語の「フレ・ベッ」(赤い・川)の和訳だそうです。
明治37(1904)年10月15日 北海道鉄道(私鉄)の駅として開業しました。
国道5号線から400~500m入った所にあり、駅の周りには数軒の民家がありますが
鳥のさえずりしか聞こえない静かな駅です。
駅前通り
小さな駅舎
ホームは上下線にあります。
列車交換も行えるくらいの広い駅構内
駅の周りは湿地になっていて、水芭蕉が咲いていました。
上り5本・下り6本しかと停車しない、ローカルな駅です。
先日の記事でも写真を載せましたが、詳しく紹介したいと思います。
八雲方面から函館方面に国道5号線を走り・・・
森町蛯谷(えびや)の漁港を通り過ぎ、函館本線の高架橋を越えて800m程行った所に
湯の崎トンネルと言うトンネルがあります。
このトンネルを出たすぐの所に看板が出ています。
榎本武揚上陸の地
(茅部郡森町字鷲ノ木)
神社の方に進み、鳥居をくぐると駐車場があります。
鷲ノ木史跡公園の看板があります。
駐車場には矢印が
まずはこちらへ。
箱館戦争鷲ノ木戦没者之碑
坂を下りていくと
石碑があります。
史跡 箱館戦争榎本軍鷲ノ木上陸地跡
線路沿いにさらに矢印が
民家が数軒立っています。これらの前を通り過ぎると
線路の下を潜りぬけると
海に突き当たります
旧幕軍 榎本武揚 土方歳三 之鷲ノ木上陸地
明治元年(1868)旧十月二十日、噴火湾中央部の鷲ノ木村に榎本武揚(徳川旧臣)率いる艦隊が上陸しました。
上陸時の鷲の木は、積雪三十cm、北西の強風で波は荒れ(ダバ風)、暴風雪であったといわれる。
榎本艦隊は、旗艦海陽丸ほか七艦(回転・蟠龍・長鯨・神速・鳳凰・回春・大江)で、このときの人員は榎本をはじめ
松平太郎、大鳥圭介、土方歳三、古屋佐久左衛門ら二千人以上と言われ、上陸したのは主に陸兵でした。
当時の鷲の木村は戸数約一五十、人口約八〇〇で茅部街道の要所でもあり、箱館への街道も開けていました。
二一日、人見勝太郎以下三十二名の先発隊が峠下村(現七飯町)で待ちかまえていた官軍と銃戦となり、箱館戦争
へと展開していくことになります。
開戦とともに、鷲の木村は榎本軍の後方陣地となり、明治二年五月の箱館戦争終結まで、負傷者や病人達の療養地
となり、また戦死者は霊鷲院に手厚く葬られました。
今も鷲の木の墓地には、榎本軍戦死者たちが眠っており、史跡公園には上陸記念碑や慰霊碑があります。
平成二十四年三月 森町
と、案内板に書いてあります。
北海道の歴史の一つがこの地にありました。
官軍の上陸地、乙部にも機会があったら行ってみたいと思います。