お蔵入りしてしまったネタを掘り出しました。
2020年3月20日
ANA772便で 新千歳空港から伊丹空港へ
機窓から見えた 花博記念公園鶴見緑地
大阪 伊丹空港に着陸
大阪モノレールに乗り
阪急電車に乗り換えて京都へ
阪急 烏丸駅に到着
四条烏丸にある、大丸京都店
「そう言えば、この近くに高校の修学旅行で泊った旅館があったはず!」
と思い出し、Googleマップを頼りに歩くと
ありました!
旅館 平新(ひらしん)
(京都府京都市中京区蛸薬師通高倉西入ル)
ちょっと覗いただけですが、ロビーは改装されて和風な感じになっていました。
大浴場と、味の無い謎味のすき焼きを食べた思い出が(個人の感想です・自分で醤油を足して味付けしました)。
高校の修学旅行の班行動では、広隆寺→東映映画村→金閣→銀閣→八坂神社→京都タワーの順で回ったようです。
旅館の近くにあった八百屋さん
そんな高校の修学旅行の順路を一部巡ってみました。
四条烏丸のバス停で金閣寺行きのバスを待っていた所
「金閣寺に行く路線バスは混むし遅れるから、地下鉄で北大路まで行って、そこからバスに乗った方が早く行けるよ」
と、ボランティアさんに声掛けされて、大人しく地下鉄へ
北大路駅まで地下鉄に乗り、北大路バスターミナルでバスに乗ったものの、いつまで経っても金閣寺に着かない。
間違って循環便に乗ったらしく、また北大路バスターミナルに戻ってきました・・・。
バスの行先表示を確認し、再びバスに乗車。
京都市バス「金閣寺道」で下車し歩くこと数分。
臨済宗相国寺派 鹿苑寺(ろくおんじ) (通称)金閣寺
(京都府京都市北区金閣寺町1)
総門
鏡湖池の向こうにあるのが
金閣舎利殿
元は鎌倉時代の公卿、西園寺公経の別荘を室町幕府三代将軍の足利義満が譲り受け、山荘北山殿を
造ったのが始まりとされています。金閣を中心とした庭園・建築は極楽浄土をこの世にあらわしたと
言われ、有名な一休禅師の父である後小松天皇を招いたり、中国との貿易を盛んにして文化の発展に
貢献した舞台で、この時代の文化を特に北山文化といいます。
義満の死後、遺言によりお寺となり、夢窓国師を開山とし、義満の法号鹿苑院殿から二字をとって
鹿苑寺と名づけられました。
安民沢 (真ん中の塔は白蛇塚)
不動堂
御朱印をいただき、金閣寺を後にし銀閣へ
京都市バス(204系統)1本で行けましたが、車内は混雑し50分位立ちっぱなしでした。
銀閣寺道で下車
白川疎水沿いを歩き、銀閣寺参道へ
臨済宗相国寺派 慈照寺(じしょうじ) (通称)銀閣寺
(京都府京都市左京区銀閣寺町2)
銀閣寺の名の由来は江戸時代、金閣寺に対し、銀閣寺と称せられることとなったといわれています。
室町幕府八代将軍の足利義政によって造営された山荘東山殿を起原とし、義政の没後、臨済宗の寺院となり義政
の法号慈照院にちなんで慈照寺と名付けられました。
九歳にして家督を、十五歳にして将軍職を継いだ義政は、生涯をかけ自らの美意識のすべてを投影し、東山文化
の真髄たる簡素枯淡の美を映す一大山荘を作り上げました。銀閣寺は美の求道者ともいえる義政の精神のドラマ
を五百年後の現代にも脈々と伝えています。
総門
中門
庫裏・大玄関
銀閣の後ろ側から回り込んで
方丈
方丈の前から見た 観音殿銀閣
特徴的な 銀沙灘(ぎんじゃだん)と 向月台(こうげつだい)
庭園内を歩き、展望所へ
わびさびを感じさせる落ち着いた雰囲気に心落ち着きますね。
参道
次は八坂神社へ。
つづく さあ、いつ更新されるでしょうか?