3月14日 (火) その1からの続きです。
日本の鉄道発祥の地から、「ゆりかもめ」に乗り・・・向かった先は
船の科学館
東京都品川区東八潮3-1
10:00~5:00 土日祝は6:00迄 (12/28~1/1 休館) 共通券 1000円
本館は、海と船の文化をテーマに作られた博物館です。
模型や実際の船舶の部位(エンジンやスクリューなど)も展示されています。
これは潜水艦コーナーです。
地上70mにある、展望塔からの風景です。 360度 見渡せます。
レインボーブリッジ その奥には東京タワーも見えます。
反対側は東京港が見えます。
下を見下ろすと・・・。
南極観測船と宗谷 と 青函連絡船の羊蹄丸
本館を出て、宗谷へ。
宗谷はご存知の通り、初代の南極観測船です。
昭和13(1938)年に、ソ連向けの砕氷型貨物船「ボロチャエベツ」として進水を
したのですが、ソ連には引き渡しされず、日本の貨物船「地領丸」として完成。
昭和15年に旧海軍の特務船「宗谷」となり、太平洋戦争をくぐり抜けました。
終戦後、引揚船を経て、海上保安庁の灯台補給船を経て、昭和31(1956)年に
南極観測を行う砕氷船に大改造されて、南極へ。
その後6回、日本と南極を往復しました。後継の砕氷船「ふじ」に観測業務を譲り、
北海道に配属されました。
昭和53(1978)年に引退し、現在は船の科学館で展示保存されています。
船内には、南極に生息する動物達や、南極の氷の実物があります。
南極観測船当時の船内を再現しています。
船室はとても狭いです。ベットもマッチ箱のようです。
操舵室です。
こんなにも小さな船で、よく南極に行ったな~と感激しました。
「宗谷」の隣に係留されている「羊蹄丸」 (別館)です。
羊蹄丸は、青森と函館を結ぶ鉄道連絡船として、昭和40(1965)年に建造され
ました。昭和63(1988)年に、青函トンネルが開通し青函連絡船が廃止されるまでの
22年間に航海距離は400万km・旅客数はのべ1178万人にものぼりました。
船内には、昭和30年代の青森駅が再現されています。
ちょっとマネキンがリアルで怖いです・・・。
操舵室です。
船の科学館の脇に、海王丸が停泊していました。
船の科学館を後にして・・・。再び、ゆりかもめに乗り、新橋へ。
新橋から、この日の宿、鎌倉の大船のホテルに移動するまでに、私の趣味である
郵便局めぐりをしました。
何局か回ったのですが、こんなものが銀座郵便局(東京都中央区銀座8丁目
20-26)の脇にありました。
踏切 !
国鉄汐留駅と築地市場を結ぶ、貨物引込線の踏切だったそうです。
(現在、線路はありませんのであしからず。)
銀座に踏切があったなんて知りませんでした・・・。
大船行きの京浜東北線に乗り・・・大船へ。
予約していたホテルは、大船駅の隣にある「ホテルメッツかまくら大船」。
最近改築したようで、客室内もとても綺麗ですし、シングルなのに広かったです。
部屋からは、湘南モノレールが走っているのが見えました。
大船駅で買った駅弁 「鯵と小鯛の押し寿司」 980円 が今晩の夕食です。
鎌倉観光に備え、ベットに入る。
今回の旅で、別々のホテルに3泊した中で一番よかったな~と
思うホテルでした。
その3に 続きます。
最新の画像[もっと見る]
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます