「トルストイの言葉」

2011-04-26 03:36:51 | アフォリズム(箴言)ではありません
              「トルストイの言葉」




かつて、「あほリズム(89)」で、トルストイの言葉を紹介しました

が、それは、「幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はい

ずれも、それぞれに不幸なものである」というものでした。訳し方

の違いはあっても、概ね日本人は、幸福な家庭はどこも同じ様に幸

福だが、不幸な家庭の原因は様々であると、そんな意味だと理解し

ているのではないでしょうか。つまり、幸福になりたければ人と違った

ことを避けるべきだ思っているのではないだろうか。ところが、日曜日

(4月24日)の朝日新聞の読書欄で、「アジアに浸る」「トモスイ」

高樹のぶ子〈著〉 を取り上げて評論された楊逸さん(中国生まれ)

によると、その記事の中で、同じトルストイの言葉が、「どれもワンパタ

ーンである幸福な家庭に比べ、不幸な家庭には不幸なりにそれぞれ

のオリジナリティーがある」と紹介されていた。何と!意味が全く変わっ

ているではないか。私は、「あほリズム」(90)で幸福と不幸の言葉を

入れ替えても意味はそれ程違わない旨のことを言ったが、果たして、

中国では「ワンパターンの幸福」よりも「不幸なりのそれぞれのオリジナ

リティー」 を貴ぶのだろうか?それとも彼女が日本語の「オリジナリティ

ー」のニュアンスをよく知らずに使ったのだろうか?しかし、よく読むと、

意味そのものは確かに同じことを言っているのだが、その伝わり方がま

るで正反対のように感じるのは私だけなのだろうか。それではトルストイ

は、どっちの伝わり方を望んでそう語ったのだろうか。            

 我々日本人は、きっと「不幸なりのそれぞれのオリジナリティー」 は望

まないに違いない。                   

トルストイの言葉でさえ訳し方にそんな違いがあるとすれば、何だ

か安易に翻訳された書物を鵜呑みにしてはいけないとつくづく思っ

た。


(おわり)



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