「できっこない」

2011-04-27 07:30:01 | 「パラダイムシフト」
               

                 「できっこない」

 石原東京都知事が、脱原発に対して「できっこない」と言ったの

は至極尤もで、1300万都民の今の暮らしを支える為には原発は欠か

せないのだろう。更に、近県を加えると、その電力需要を安定供給

する為には原発を放棄することは現実的ではないのだ。都民の今の

暮らしを預かる都知事としては当然の発言である。そもそも、脱原

発を訴える人々は、今の便利な生活を失う覚悟があって言っている

のだろうか?高層マンションの階上に居て、缶ジュース1個買いに

行くにも地上との間を、原子炉が発電した電気を消費して昇り降り

しながら、もしも仮に、原発が止まって玄関までの階段を日に何度

も昇り降りすることになっても反対するのだろうか。近代社会の豊

さの恩恵に浴しながら、その豊かさの一端を支えている原発に反対

するのは、宛ら、親の稼ぎで育ちながら、親の仕事をけなしている

様に思えてならない。勘違いしないでもらいたいが、私はこれまで

も原発に反対してきたし、そうなれば生活の低下は避けられないと

何度も記してきた。原発は政府が推し進めてきたこれからのエネル

ギー政策の根幹を成し、その見直しを迫ることは、当然、電力供給

の目処が立たなくなって、都知事が言う様にこれまでの経済活動や

生活は続けられなくなるのは間違いないだろう。それでは、脱原発

を求める人々は、今の豊かさを手放す覚悟があるのだろうか?そも

そも、メトロポリス東京は既に自然環境に逆らった近代文明に拠っ

て成り立っている。原発による電力供給を放棄した途端に都市機能

が寸断されて、便利な生活は不便な生活に一変する。それでも尚、

脱原発を求める覚悟があるなら、原発を必要としない生活をする方

が先ではないだろうか。私はこれまでそのことを随分考えて来まし

た。我々は今の豊かさを手放すことが出来るだろうかということで

す。恐らく、出来ないでしょう。たとえ放射性物質が舞う中でも、

まだ被曝の残留濃度が基準値以下だなどと言って空調の効いたシェ

ルターの様な部屋で、原発が発電した電気を惜しげもなく使う生活

から抜け出せずにいるに違いない。そこから抜け出すには、豊かさ

の価値観を転換させなければならない。便利な暮らしを望みながら、

いくら脱原発を叫んでも都知事の言う様に「できっこない」だろう。

つまり、脱原発云々を言う前に、もっと大きなイシュー、今の豊か

さを手放す覚悟があるのだろうか。そうでなければ、石原都知事の

言う「できっこない」に、勝てっこない。




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