「究極の選択」
菅総理が浜岡原発の稼動停止を独断で要請したことに対して批判
の声があるが、恐らく、事前に関係機関に諮っていればその決断は
官僚たちによって潰されていただろう。そして、その責任だけが彼
に負わされ、官僚たちは一切その責任を負わない。彼等の肩書きに
は権力は備わっていても責任は無いのだ。つまり、菅政権は官僚た
ちの反菅の四面楚歌の中で遠くに聞こえる国民の声だけが頼りなの
だ。勢い、事前通達なしで国民に直接訴える他手立てがなかったの
ではないだろうか。鳩山元総理の米軍基地問題の時もそうだった様
に、官僚は総理の決断に沿って動こうとはしない。「最低でも県外」
は充分国民の理解を得られる判断だったが、結局、官僚に覆されて
自刃してしまった。縦しんば、官僚の意見に従って第二の原発事故
が発生したとしても、その責任は菅総理にあって、官僚には無いの
だ。
その決断とは、最も最悪の事態を想定すれば、当然、東海地震が
起こって第二の原発事故が発生することである。原子炉の稼動停止
要請も偏にそれを避ける為に他ならない。それでは、その為に派生
する電力不足がもたらす社会生活の混乱と、今、現に福島原発で起
こっている放射能汚染による混乱の再現のどちらを避けなければな
らないのだろうか?譬え万が一であっても、第二の原発事故のリス
クを負ってはならない。縦しんば、電力不足によって産業が滞り経
済不安に陥ったとしても、それは次の段階として対処しなければな
らない。決して、生活や経済の為に決断を翻すことはあってはなら
ない。何故なら、原発事故はそれらに優先する国民の生命自体を脅
かす事態であるからだ。豊かな暮らしの為に生命をリスクに晒すの
は本末転倒である。今こそ我々は、被災地だけに留まらない国を挙
げての「オールジャパン」の取り組みが求められているのではない
だろうか。
(おわり)
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