「パラダイムシフト」(2)
浜岡原発のある御前崎市は、原発停止されたら交付金が受けられ
なくなると市長が嘆いていたが、「フクシマ」以後、市民の意識が変
わったことに気付いていないのかもしれない。例えば、安全対策が
施され数年後に再び原子炉が稼動し始めれば、恐らく原発近辺に住
む市民の多くは市外へと転出し始めるに違いない。いくら安全だと
言われても「フクシマ」以後最早その言葉を誰も信じないだろう。核
分裂が臨界に達した原子炉のある建屋から少しでも離れたいと誰し
も思うだろう。つまり、原発を抱える市町村は「フクシマ」以前の社
会を取り戻すことが出来なくなってしまったのだ。浜岡原発を例に
とれば、原子炉を廃炉にして原発事故の不安を解消して住民流出を
食い止めるか、もちろんそうなれば、市長が嘆いていたように交付
金の支給が受けられなくなって財政は逼迫するだろう。しかし、原
子炉が再び稼動して交付金が支給されると住民の転出が避けられな
くなるに違いない。そして、何れの原発城下町も、住民流出か交付
金かの二者択一に悩まされることだろう。しかし、そもそも自治体
とは住民があってのことで、いくら金があっても原発がある限り定
住者は増えないだろう。やがて住民の意志が尊重され、たとえ落ち
ぶれても未だこの国には選挙制度が残されているのだ、何れ首長や
総理が、或は族議員や財界人がとやかく言ったところで、進んで毒
饅頭に、その毒の恐ろしさを知った市民が、よもや手を出すことは
ないだろう。
つまり、菅総理が見直しを語らなくとも、市民の反対によって見
直さざるを得なくなるだろう。「フクシマ」によってこの国ではパラ
ダイムシフトが起こり始めている。
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