「尾崎豊、再び」
私は親父の代からの朝日新聞の読者で、他紙を読んでもそのまま
信じようとしないほどの。ところが、ネットでも読むことが出来る
ようになったのでこの年末に購読を止めてしまった。すると、これ
までの習慣が崩れて、サイトの一覧から気になる記事に直接アクセ
スして、天声人語や社説などと言った報道とは関わりのない記事を
読まなくなってしまった。だから、1月9日の朝日新聞に以下の社
説が載っていたことを今始めて知って驚いた。もちろん、それは私
自身もそれまでに尾崎豊のことを取り上げていたからだ。
「成人の日に――尾崎豊を知っているか」
朝日新聞1月9日社説より
「ああ、またオヤジの「居酒屋若者論」か、などと言わずに、聞い
てほしい。キミが生まれた20年前、ロック歌手・尾崎豊が死んだ。
その時のオヤジより少し下の26歳。雨中の追悼式に、4万人が長
い長い列を作ったものだ。
新聞には「高校を中退し、自由を求めて外に飛び出した彼の反骨
精神が、僕を常に奮い立たせていた」と投書が載った。
彼が「卒業」「15の夜」といった曲で歌ったのは、大人や社会
への反発、不信、抵抗。恵まれていないわけじゃないのに、「ここ
ではない、どこか」を探し、ぶつかり、傷つく。
その心象が、若者の共感を呼んだ。尾崎の歌は高校の教科書にも
採用されたほどだ。ところが最近は、うんざり顔をされることが多
いらしい。
オヤジと同世代、精神科医の香山リカさんは毎年、大学の授業で
尾崎豊を聴かせ、感想を問うてきた。ここ数年「自己中心的なだけ
じゃないか」「何が不満かわからない」と、批判的な意見が増えて
いるという。
教室に居並ぶのは、親や世の中に従順な若者たち。キミと同い年
なら、石川遼くん?
でも、就活の道は険しいし、滑り落ちたら、はい上がるのは難し
い。時代は、尾崎のころよりずっとずっと生きづらい。
だけどキミたちは「自分にスキルが欠けるから」と、どこまでも
謙虚だ。格差も貧困も「自己責任さ」と、受け入れてしまっている
ようにみえる。
尾崎豊はどこへ行ったのか。
あの時の尾崎と同じ26歳、気鋭の社会学者、古市憲寿さんには
「オヤジよ、放っておいて」と言われそうだ。
近著「絶望の国の幸福な若者たち」では、20代の7割が現在の
生活に満足している、との調査結果を紹介している。過去40年で
最高だ。
将来の希望が見えないなか、未来を探すより、親しい仲間と「い
ま、ここ」の身近な幸せをかみしめる。そんな価値観が広まってい
るという。
なるほどね。いくら「若者よもっと怒れ」と言っても、こんな社
会にした大人の責任はどうよ、と問い返されると、オヤジとしても、
なあ……。
でも、言わせてもらう。
私たちは最近の社説でも、世界の政治は若者が動かし始めたと説
き、若者よ当事者意識を持てと促した。それだけ社会が危うくなっ
ていると思うからだ。
だから、くどいけれど、きょうも言う。成人の日ってのは、そん
なもんだ。
ともあれ、おめでとう。」
この社説に対する意見も多数発せられているようで、その中から
ニューズウイーク日本版のコラム欄で冷泉彰彦氏の「尾崎豊の再評
価が不要な理由」を少し長いのですが載せます。
「尾崎豊の再評価が不要な理由」
2012年01月11日(水)11時16分
(ニューズウイーク日本版「コラム&ブログ」より)
「アメリカには成人式というものがありません。18才で法的に成人す
る若者に、社会全体で期待をしたり説教をしたりという習慣はないの
です。成人式的なメリハリは宗教が担っているという理由もあります
が、もしかしたら世代ごとに世界観の論争をしたり、反抗と抑圧の抗
争をしたりというカルチャーが弱いからかもしれません。そもそも核
家族イデオロギーが機能する中で親子が比較的仲が良いということ
もあると思います。それがアメリカの強さと弱さを輪郭づけています。
そんなアメリカとの比較で言えば、日本から聞こえてきた成人式の
日の「今の若者に尾崎豊のような反抗を期待」するという朝日新聞
の社説と、その社説を批判した常見陽平氏の『「成人式はバカと暇
人のもの」若者に「尾崎豊」を強制するのはやめなさい』というアゴラ
の記事を巡る論争は大変に興味深く思えました。
尾崎豊と言えば、校内暴力の時代の「反抗カルチャー」の象徴とさ
れています。常見氏は別の場所で尾崎のラブソングには一定の評
価を与えていますが、それはそれとして尾崎の多くの歌詞が80年代
後半から90年代にかけての「若者の反抗」というカルチャーを代表し
ているのは事実でしょう。
日本が最も豊かであったあの時代に、どうして校内暴力の反抗が
起きたのでしょうか? そこには2つの理由があると思います。1つ
は、日本が高度成長から二度の石油ショックを乗り越え、自動車と電
気製品を中心に輸出型ビジネスを大成功させる中、ようやく「豊かな
社会」を実現したという時代背景です。物質の豊かさは精神の豊かさ、
つまりより高度な抽象概念への関心や、より高度な付加価値創造へ
の欲求へと若者を駆り立てたのです。
ところがそこに、教育カリキュラムとのミスマッチが起こりました。教
育カリキュラムはせいぜいが「前例を疑わない官僚」や「主任教授の
忠実な弟子である研究者」「代々受け継がれてきた職人的な創造者」
などをエリートとして養成しつつ、多くの中間層に関しては定型的な労
働における効率を追求する人材育成のプログラムしかなかったのです。
つまり、若者の中には無自覚ではあっても「その先の社会へ」と進む
モチベーションが高まっていたのに、教育がそれに応えなかったのです。
やがて、ずいぶん後になってから「ゆとりと総合的学習」などという半端
なコンセプトが提出されましたが、基礎訓練を強化した上で抽象的な概
念のハンドリングへ進むのではなく、基礎訓練の劣化を伴いつつ指導
者の育成もせずに「総合」などというのでは破綻するのは当たり前でした。
ちなみに、この「ゆとり」に関して言えば、前思春期には基礎を叩きこ
んで、思春期から先に抽象概念にチャレンジさせるという定石も外して
いました。実際はその反対だったのです。前思春期に「おままごと」のよ
うな「総合」をやらせておいて、思春期以降は「受験勉強」に戻って定型
的な訓練と規範への盲従を強いるという、まるで人格を成長「させない」
ようなプログラムになっていた点も厳しく批判されなくてはなりません。
もう1つ、校内暴力の背景にあったのは教員の質の低下でした。80
年代の世相の中では、「利害相反の中でコミュニケーションの仲介をす
る」という当たり前の社会的行動を「忌避する」タイプが多く教員になって
いったように思います。バブルの拡大を前にして「ビジネス志向」の若者
が企業社会に飛び込む中で、「そうではない」タイプが教壇を目指したの
です。
拝金主義を嫌って本質的な人格育成を担う志があるのならまだ良か
ったのですが、利害相反の調整行動を「イヤ」だ「辛い」というタイプを教
員にしたのは間違いでした。世代間のカルチャーがどんどん変化する中
で、教員に求められるのも「高度な利害相反の調整能力」であったので
す。そのスキルのない教員には、生徒の「変化への衝動」や「権威への
疑い」に対処できるはずはありません。
そこで当然の帰結として管理教育が導入されました。管理教育という
のは、強者ゆえに管理に走るのではなく、無能な弱者ゆえに細かな規
則などによる管理でしか学級運営(クラス・マネジメント)ができない、教
育のレベル低下であったのです。原理原則を軸として柔軟な価値判断
や現実的な紛争調整をすることができない無能な教員が、生徒の「変
化や破壊の衝動」を圧殺するという悲劇が繰り返されたのでした。
尾崎は少なくともこの点は見抜いていました。その意味で歴史的な意
味合いはあると思います。ですが、20年を経た現在、この点で尾崎を
最評価しても何もならないと思います。
1990年の時点では「高付加価値」や「抽象概念」が扱えない大人に
は、反省はまるでありませんでした。自分たちが日本社会を「先へ進め
る」ことを妨害しているのに気づかず、過去の成功体験や代々受け継い
できた訓練ノウハウを疑うこともしない彼らに対して、当時の若者が激し
い異議申し立てをしたのは当然だと思います。
ですが、現在は時代状況は違います。今、日本社会が直面しているの
は一種の撤退戦です。国際競争の中で負けた部分を放棄しながら、何
とか生き残るために必死に戦うというのが、現在の「大人」の姿ではない
でしょうか? そこには豊かさの中で変化を圧殺し続けた1990年の時
点での「大人」のような罪深さはないように思うのです。今、必死で生きて
いる日本の「大人」に対して、日本の若者に「反抗せよ」というのは正義
ではないと思うのです。
勿論、生きるために必死な人間が「下の世代にフレンドリー」だという
保証はありませんし、下の世代からしても「現実の中で必死な姿勢の全
てが尊敬に値する」わけではないと思います。必死である大人は、時とし
て若者の利害も踏みにじろうとするでしょうし、撤退戦に必死な姿をマネ
しているだけでは生き残ることも難しいからです。
若者は若者で、困難に満たされた社会、危険と隣り合わせの現実社会
の中で、成熟した防御の感覚を備えているのだと思います。現状に満足
かと問われれば、とりあえず「イエス」と答えておくその姿勢の防御的な成
熟には、「その先へ」と進んでゆく可能性も感じられるのです。そうした若者
には「戦略なき反抗」などという破滅志向はないのであり、それはそれで正
しいのだと思います。尾崎の歴史的意義はあるにしても、再評価は不要と
いうのはそういうことです。」