「火箭」

2012-01-27 17:35:33 | 赤裸の心

                   「火箭(かせん)」

        
 資料を探すために図書館に行ったら、その資料は見つけられなか

ったが、年の暮れ(12月22日)に「草の葉」に記したボードレー

ルの「火箭・赤裸の心」を筑摩世界文学大系の「ポオ・ボ―ドレー

ル」の巻に偶々見つけたのでここに載せます。これは、小林秀雄の

「近代絵画」の中のボードレールの項に載っていたが、その後、そ

の文庫本を他人にあげてしまい、何十年も再読が叶わなくて後悔し

ていたのですが、と言うのも田舎の書店にはそんな本は置いていな

かったので、飛び上がらんばかりに喜びました。以下は私の人生を

変えたボードレール「火箭」の中の一節です。翻訳が現代語訳で安

っぽく感じたのですが。


                 

               「火箭 15」より抜粋


「世界は終わろうとしている。まだ存在している理由があるとして

も、それは、現に存在しているということだけだ。なんと薄弱な理

由ではないか。その逆を告げるあらゆる理由、わけても、世界がこ

れから先天空の下で何をすることがあるのか、という理由と比較す

るなら。――けだし、かりに世界が物質的に生存を続けるとしても、

それははたして生存の名に値する生存だろうか。ぼくは、世界が、

南米諸共和国のようなその日ぐらしやふざけた無秩序におちいるだ

ろうとか、――それどころか、多分われわれは未開状態に帰って、

わが文明の草深い廃墟をふみ分けながら、銃を手に食物をあさりに

いくことになろう、だとかいうのではない。否。――なぜといって、

このような運命、このような冒険は、原始時代の名残りともいうべ

き、いくばくの生命力を前提とするものだから。仮借ない道徳法則

のあらたな実例、あらたな犠牲となって、われわれは、それによっ

て生きていると信じてきたものによって滅びるであろう。機械がわ

れわれをすっかりアメリカ化し、進歩がわれわれの中の精神的部分

全体をまるで委縮させてしまう結果、理想家たちの血なまぐさい、

冒涜的なあるいは反自然的な夢想のどれをもってきても、進歩の歴

然たる諸成果とはくらべものにならぬ、ということになろう。ぼく

は、およそ物を考えるほどのあらゆる人に、生命のいかなる部分が

今日なお残っているかしめしてくれと要求する。宗教については、

これを語ったり、その残存部分を探したりすることは無用と思う、

なぜなら、いまさらわざわざ神を否定する労をとることがこの領域

で可能な唯一の破廉恥行為であるようなしだいだから。私有財産は

、長子相続権の廃止とともに実質的には消滅してしまった。だが、

いずれ人類が、復讐の念にもえた人食い鬼さながら、諸革命の遺産

の正当な相続者をもって任ずる者たちから、食物の最後の一片まで

うばいとる日がくることであろう。これとてまだ最悪の不幸ではな

いだろうが。

 人間の想像力は、いくばくかの栄光に値する共和国あるいは他の

形の自治国家というものを――神聖な人間や一種の貴族によって指

導されるとしてだが――さしたる困難もなく考えることができる。

だが、世界の破滅、あるいは世界の進歩――この際名前などはどう

でもよい――が顕現するのは、とくに政治制度によってではあるま

い。それは、人心の低劣化の結果として現れるだろう。かろうじて

残る政治的なものは万人の獣性にしめつけられてもがき苦しむだろ

うとか、為政者たちは、みずからの位置をたもち秩序の幻影をつく

り出すために、今日すでにかくも硬くなっているわれわれの人間性

をも戦慄させずにはおかぬような手段にうったえることを余儀なく

されるであろうとか、今さらいう必要があるだろうか。――この時

代になると、息子は、十八の年にではなく、十二の年に、がつがつ

した早熟さから早くも一人前になって、家庭をとび出すことであろ

う。彼がとび出すのは、英雄的な冒険をもとめてでもなければ、塔

にとじこめられた美女を救い出すためでもなく、崇高な思索によっ

て屋根裏部屋に不朽の名誉をあたえるためでもなくて、商売を始め

るため、金持ちになるため、そして破廉恥な父親と――知識の光明

を普及し、その時代の「世紀」紙をすら迷信の手先とみなさせずに

はおかぬような新聞の創立者兼株主たる父親と、張り合うためなの

だ。――この時代になると、宿なし女や淪落の女たち、何人も情人

をもったことのある女たち、すなわち、悪のように論理的なその生

活のなかにあって、気まぐれな輝きを見せる軽はずみのゆえに、ま

たそれに対する感謝の念から、時に人が天使と呼ぶことのある女た

ち、――その時代になるとこの女たちは、血も涙もない分別、金以

外のものはいっさい、色恋のあやまちまでふくめて、すべてを断罪

する、分別以外のなにものでもなくなってしまうだろう。――その

時代には、美徳に似たところのあるもの、いな、富の神への熱誠で

ないすべてのものは、とほうもない滑稽あつかいされることになる。

司法権は、もしこの恵まれた時代になお司法権が存在しうるとして

のことだが、栄達のすべを知らぬような市民の権利を剥奪するであ

ろう。――お前の妻は、おおブルジョワよ!お前の貞節なる半身は

――彼女が法律的に正当な妻であることが、お前にとっては詩なの

だが、――今や法的正当性のなかに非の打ちどころのない破廉恥さ

をもちこんで、お前の金庫の油断なく愛情深い番人と化し、つまり

はお妾の理想的タイプにほかならなくなってしまうだろう。お前の

娘は、ゆりかごの中で、あどけないままに年頃の色気をただよわせ

て、百万フランで買われる夢を見るのだ。そしてお前自身は、おお

ブルジョワよ!――今日よりさらに詩人でなくなったお前は、こう

したことになんの不満の種も見いださず、なにごとも悔やむことは

あるまい。けだし人間のなかには、ある部分が弱くなり退化するの

に比例して、強化し発達する他の部分があるからだ。――じっさい、

この時代の進歩のおかげで、お前の胸と腹のうちには、臓腑だけし

か残らぬことになろう。こういう時代は、どうやら大変近くにせま

っている。それどころか、この時代がすでに来ていはしないかどう

か、われわれの天性の鈍磨だけが、現に呼吸している環境を認識す

ることをさまたげる、唯一の障害をなしているのでないかどうか、

誰が知ろう!

 ぼくはといえば、自分の中に時たま予言者めいた滑稽さを感じる

ことはあるが、医者の慈悲心といったものはこの胸のうちに見つか

るべくもないと承知している。この汚らわしい世の中に迷いこみ、

群衆にこづきまわされて、ぼくはさしずめ一人の疲れた男――背後

の深い年月に目をやれば醒めた迷夢の跡と苦い失望としか見当たら

ず、前方には、なんの新しさも、なんの教訓も苦痛もふくまぬ雷雨

ばかりが見える、そういう疲れた男だ。この男が運命から数時間の

快楽をぬすみ得た宵には、――できるかぎり――忘れ、現在に満足

し、未来には忍従の心をきめ、みずからの冷静さとダンディズムに

酔い、目の前を通り過ぎる者たちほど下劣でないことを誇りにして、

葉巻の煙を見詰めながらひとりごつのだ――この人間たちがどこを

指してゆこうと、ぼくに何のかかわりがあろう、と。

 ぼくはどうやら、その道の人々が蛇足と呼ぶもののほうへそれて

しまったようだ。しかしこの数ページは残しておこう。自分の悲し

みの日付をとどめておきたいから。」

 筑摩世界文学大系 37 「ポオ ボードレール」阿部良雄 訳

 

 「火箭」・・・ 昔の戦いで火をつけて射た矢。敵の施設や物資に
          火をつける目的で用いたもの。火矢(ひや)
         2 艦船が信号に用いる火具。 

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