「あほリズム」
(516)
米中の対立、日韓の対立、さらに言えば日米の対立にしても、
それらは、それぞれの立場の違いによる認識の違いからの対立と
いうよりも、何かしらもっと大きな時代の流れ、たとえば限界に
達した世界の行き詰りによる閉塞感から生まれる対立感情である。
つまり「かくすれば かくなるものと知りながら やむにやまれぬ 」
ナントカ魂から引くに引けなくなっている。
(517)
近未来を予測された状況から想像すると、たとえば、世界人口は
限界の100億人にまで達するだとか、そしてAIが管理する社会
が来るだとか、それらの予想から窺える未来は、たぶんすでに13
億人以上を抱える中国が取り組んでいる管理社会に行き着くのだろ
う。当然のことだが、100億人の人権がこれまで通り尊重される
ことはない。つまり近未来は、管理社会の下でヒューマニズムが蔑
ろにされ、われわれは安心して生きるためなら管理されることも厭
わずに、再び人権が「一銭五厘」(召集令状)で買われる日が来るか
もしれない。
ニーチェはそんな社会を「畜群」社会と呼んだ。
(518)
人生の歓びとは、たとえば、ディズニーランドなどに行って楽し
むことだけが歓びの全てだとすれば、つまり、歓びだけが生きる目
的だとすれば、なんと虚しい人生であることか。