「あほリズム」
(524)
最近は政治家ばかりでなく誰もが「ものは言いよう」とばかり
に何でもないことを持って回った言い回しで事実を隠ぺいしたり
、或はことさら都合の良いように解釈したりと、その典型的な例
はわが大本営が「撤退」を「転進」と言い換えたことに尽きるが
、たとえば、いつもの朝を「新しい朝がきた」と言い換えれば、
なるほど「希望の朝だ」と勘違いしてしまうこともあるのだろう
が、ただ、何ひとつ変わらない現実を言葉の言い換えによって新
鮮な感情を与えることは、もちろん生活の中では目くじらを立て
ることではないかもしれないが、それほど好ましいことだとは思
わない。変わらぬ現実に耐え切れなくなって言葉がバブル化する
と事実を見失う。