「あほリズム」
(527)
そもそも護憲派の人々は「戦争放棄」を支持しているのだから、
対立国との問題を解決するには話し合いによるしか方法はない。話
し合いによって解決するためには相手国の言い分も聴かねばならな
いが、たぶん、それは受け入れ難い言い分に違いない。しかし、「
両国の間の不幸な過去」を、加害者側は「もう済んだこと」と言い、
被害者側は「まだ許せない」と言う時、どちらに正義があるのかは
置いといても、政権に媚び諂い提灯記事しか載せないマス・メディ
アよりも、受け入れ難い相手側の言い分でさえも載せる新聞の中立
性を強く支持する。もっと分かり易く言えば、朝日、毎日だけは、
「どこの国の新聞か」と叩かれようとも、自国にとって不都合なこ
とは一切報道しない中国の人民日報や北朝鮮の労働新聞や、或はど
こかの御用新聞のようにだけは絶対にならないでもらいたい。そし
て、「強権に確執する志」を失わずに貫いてもらいたい。
(528)
実は上の記事は本旨から逸れてしまったのですが、
そもそも「戦争放棄」(戦力不保持)を求める人々と、「普通の国」
(戦力保持)を求める人々では、目的が違うのであるから当然対立国へ
の対応は異なる。戦争放棄を訴える人々が、対立国の言い分を聴こう
とするのは戦争を避けるためにほかならない。それでは国益を損なう
と言うなら、戦争放棄を求める人々は国益よりも国民の命の方が大切
だと思っているからです。それでは「普通の国」を求める人々は、国
民の命を犠牲にしても国益は守らなければならないと思っているのだ
ろうか? 紛争を解決する手段として話し合いによるか、それとも、
武力に訴えてでも国益を守るかの違いは、優先すべきは国民の命か国
益かの違いである。