「あほリズム」
(627)
新年明けましておめでとうございます、と言っても齢を重ねるこ
と何十年ともなればすでに見慣れた日常に過ぎず、年が改まること
以外に今さら改まることは何一つないのですが、たまたま夜中に目
が醒めてテレビを点けると恒例の「朝生」が放送されていて、途中
からではあるが若手政治家や知識人による議論を聴いた。テーマは
「少子高齢・人工減少」問題で、その一因である日本のジェンダー
・ギャップ(男女格差)指数が世界最低レベルであることが取り上げ
られ、ジェンダーフリー(男女平等)についての有意義な議論が交わ
されてなるほどと思った。ところが、その後にテーマが皇位継承問
題に移ると、先ほどまでジェンダーフリーを強く訴えていた論者た
ちの半数ほどの人が女系天皇への反対に手を挙げてさっきまでの話
はいったい何だったのかとそのギャップに耳を疑った。ジェンダー
フリーの問題と伝統としての天皇制を一緒くたに語ることはできな
いが、とは言っても、この国には天皇制に限らず神事や政事におけ
る男尊女卑の因習は到るところで踏襲されていて、それこそがジェ
ンダー・ギャップそのものであるとすれば、父系社会を見直すこと
以外にジェンダーフリーが実現することはあり得ないと思うのだが
、天皇だけは父系でなければならないとすれば、もはやそれは血統
を守るために交配を制限された天然記念物の「家畜」でしかない。
折しも去年は新天皇の即位に伴う宮中祭祀が執り行われ、即位礼で
は古式ゆかしいコスプレで、じゃなかったコッケイな装束を纏った
両陛下が、にもかかわらず誰も「おかしい」とは言えない空気感の
中で「檻」の中から詔(みことのり)を宣われ、それは子供の頃によ
く観た菊人形の見世物を思い出さずには居られなかったが、おお、
まさにそれは菊人形にはちがいないが、この伝統と近代の社会秩序
とのダブルスタンダードこそがわが国の社会進化を遅らせているの
ではないか。私は皇位継承問題の議論を聴きながらこんな化石化し
た制度にいつまでもこだわっていてはとてもジェンダーフリーは絵
空事だと確信した。われわれ皇民は、まず天皇制という伝統の檻を
解放して「衣装を纏い過ぎた王様」にもっと裸になるように言うべ
きではないだろうか。