仮題「科学と自然」

2020-01-04 16:27:16 | 従って、本来の「ブログ」

          仮題「科学と自然」


 科学は真理の追究によってもたらされたが、しかし真理とは絶対

不変であるとすれば、科学は絶対不変の存在である唯一神への信仰

から派生した、いや、一神教の世界からしか派生し得なかった。そ

して、真理とは絶対不変であるとすれば、この世界はすべてが遷り

変わる非真理、つまり仮象の世界でしかない。この世界が仮象の世

界でしかないとすれば、この世界を超えた絶対不変の真の世界があ

るに違いない。こうして真理の追求が一神教(キリスト教)の世界を

生み、やがて科学をも発展させた。つまり、真理、神、科学、これ

らは世界を固定的にしか捉えられない理性によって産み出された。

ところで、「真理とは幻想である」(ニーチェ)とすれば、真理の追

究によってもたらされた神の世界はもちろんのこと、科学でさえも

幻想ということにならないだろうか。では、科学が幻想とはいった

いどういうことだろうか。生成の世界は循環して再生されることに

よって変遷流転するが、科学技術が産み出した人工の物質は再生さ

れずに自然循環を妨げる。それはさながら流動的な生成の世界に固

定化した真理がそぐわなくなることに似ている。変遷流転する生成

の世界の下で、固定的な科学的認識は一時的には《真理》に的中し

ても時間的経過の中で次第に《真理》から外れていく。たとえば、

私が石板に「今は2020年1月8日6時30分です」と刻印して

も、《真理》であり得るのは一瞬だけでその後は次第に《真理》か

ら遠のいて行く。つまり、われわれは変遷流転する生成の世界を認

識(理性)によって捉えることができない。科学とはわれわれの認識

(理性)によってもたらされるとすれば、生成の世界の下では科学的

認識もまた《真理》に近付くことができたとしても次第にそぐわな

くなる。

 

                          (つづく)