「三島由紀夫について思うこと」
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1945年(昭和20年)8月15日、ポツダム宣言の受諾によっ
て日本の敗戦が決定すると、20歳の三島由紀夫は「死は文化であ
る」を実践する機会を失った。彼は入隊検査で撥ねられて召集され
なかった。しかし、もしも入隊していれば「その部隊の兵士たちは
フィリピンに派遣され、多数が死傷してほぼ全滅した。」(ウィキペ
ディア[三島由紀夫]) 彼は「特攻隊に入りたかった」と真面目につぶ
やいた、と父親は述べている。(平岡梓著[倅・三島由紀夫]) そして自
身のノートに「戦後語録」として、「日本的非合理の温存のみが、
百年後世界文化に貢献するであらう」と記した。日本的非合理とは
もちろん天皇のことだ。ただ、戦中までは神州不滅だとか八紘一宇
だとか煽っていたマスコミを始め多く知識人たちが、敗戦になると
忽ち掌を返すようにやっぱり自由だ民主主義だと言い始めたことに
失望した。当然のことながら天皇制と民主主義は相反する。しかし、
今だに多くの国家主義者たちは天皇と言いながら民主主義を支持す
る矛盾に気付いていない。私はとにかく国家主義のリゴリスティッ
クなヒエラルキー(厳格な上下関係)にだけは堪えられない。やっとヒ
エラルキー社会から解放された自由を失いたくない。はっきり言って
伝統文化は不自由すぎる。
三島は、戦後はもっぱら文筆に励んだ。「仮面の告白」「潮騒」
「金閣寺」など立て続けにベストセラーを発表し、ノーベル賞候補
にも名が挙がった。私の個人的な感想だけれど、彼の作品は、確か
にやまと心を甦らせる自然描写や個性的な人物の説得力のある心理
分析は新鮮で巧緻だが、たとえば「金閣寺」に登場する跛(ちんば)
の男が不幸を逆手にとって女性の同情に訴えて思い通りに操るなど
というのは、余りにも障害者の心情を理解していないし、つまり、
そんな強かな障害者はいないし、さらに言えば、吃音のひどい主人
公が美しいもへの嫉妬から金閣寺に放火したというのも牽強付会の
感が否めない。ただ我々は彼の優れた文章力で納得してしまうが。
たぶん三島は犯人の従弟僧が割腹自殺したことに、但し未遂だった
が、強い関心があったに違いない。
ところで、私は三島由紀夫がニーチェを愛読していたということ
を知って書き始めたのですが、ここまで三島由紀夫のことばかりに
なってしまいましたが、それは彼が切腹をしてまでも訴えたかった
ことがどうしても理解できなかったからですが、しかし、彼が生れ
てきた戦争に明け暮れた時代や家庭環境、更には養ってきた思想や、
たぶん超感性のようなものまで辿れば或る程度理解することができ
るのかもしれませんが、ただ、それにしても何故あれほど天皇に執
着したのかがいまひとつ理解できません。たとえば、ニーチェは「
神は死んだ」とキリスト教世界を切り捨てたが、それでは三島は敗
戦後の天皇の人間宣言をどう受け止めたのか。
ニーチェは「神の死」の後の世界はニヒリズムに陥ると言いました
が、まさに我々は科学技術文明の下でただ安楽に生きることだけを
追い求める家畜、ニーチェの言う《畜群》に違いないが、それでは
惟神之道は我々をニヒリズムから救ってくれるのだろうか?そもそ
も死を賭して訴えたからといって「あめつちを動かす」ことなど叶
わぬと三島由紀夫がいちばん知っていたはずなのに。
(つづく)