「二元論」
そもそも「二元論」とは、辞書によれば「異なった二つの原理で
あらゆるものを説明しようとする考え方」(Goo辞書)で、ことに有
名なのは哲学者ルネ・デカルトが自著「方法序説」で取り上げた精
神と物質の二元論ですが、しかし、そもそも我々が「存在とは何で
あるか?」を問うとき、存在は理性によって《分析》され事実存在
と本質存在に二分され、本質存在こそが永遠不変の真理として認め
られる。ハイデガーによれば、デカルトよりもずっと前に「存在と
は何であるか?」を思索し、それを最初に著作として残したのは古
代ギリシャにおいてソクラテスの下で学んだプラトンとその弟子ア
リストテレスで、西欧形而上学的思惟の歴史は彼らから始まった。
ところで、我々の存在が真理であるとすれば、真理は永遠不変でな
ければならないが、ところが我々はいずれ死滅する限られた存在で
しかない。いずれ死滅する存在とは「仮象」の存在であり、我々が
存在するこの世界は無常に遷り変る仮象の世界である。それではこ
の仮象の世界を超えた「真の世界」はいったい何処にあるのか?プ
ラトンは、それはイデアの世界であり、イデアこそが永遠不変の真
の世界であり、この世界はイデアの世界の《似像》にすぎないと「
二世界論」、つまり「二元論」を説いた。それは「真理は一つ」を
追い求める我々の理性が最終的に世界中のものごとを二元化させる
のだ。今日でさえも「真理は一つ」の一元化を迫られて、環境保護
か経済発展か、将又(はたまた)コロナ禍での経済活動の自粛か継続
かの二元論の選択から逃れられないでいる。つまり、二元論とは我
々の理性が規定する「真理は一つ」がもたらす限界での二極対立で
あり、それは「真理は一つ」という幻想を追い求める理性の最大の
欠点に違いない。果たして「真理は一つ」なのか?
(つづく)