「あほリズム」(823)

2021-04-12 06:56:00 | 「二元論」

         「あほリズム」

 

           (823)

 

 哲学者ハイデガーは主著である「存在と時間」の執筆途中に思想的

「転回」(ケ―レ)を余儀なくされて、筆を置きました。私はまったくの

素人ながら、彼が「存在の意味は時間である」(木田元)と考えたことに

誤りがあるのではないかと思います。私は「現存在は『おのれを時間化

する』」(木田元)までは何とか理解できますが、しかし「存在が時間に

還元される」ことにはどうしても納得できません。

 そもそもハイデガーは、まず「存在とは何か?」を問う「人間とは何

者か?」を問いました。何故なら答えが人間が了解できることでなけれ

ば意味がないからです。すると「人間とは時間性である」ということを

了解して、そして、その人間が設定した時間性(テンポラリテート)の場

に「存在」を企投して「存在とは時間である」という「存在了解」を得

ました。しかしそれではあまりにも人間本位に傾かざるを得ないのでは

ないかと思いました。そこで、そもそも「時間とは何か?」と考えまし

たが、何一つ時間についての概念が浮かんできません。それはまるでア

ウグスティヌスの言葉「私はそれについて尋ねられない時、時間が何か

を知っている。尋ねられる時、知らない」(アウグスティヌス『告白』

第11巻第14章)に共感を覚える次第です。しかし「時間」を検索し

てたまたま見つけた本「時間は存在しない」( カルロ・ロヴェッリ) を取

り寄せて、こんどは物理学の方から知ろうと思って読んでいます。

 ここまで、もうすこし勉強してからまた記事にします。