しつこく「時間は存在しない」
カルロ・ロヴェッリはわれわれの「視界の曖昧さ」をこう言います、
「わたしたちに見えているコップの中の水は、月面の宇宙飛行士に
見えていた地球のように青く静かに輝いている。月からは、植物や
動物といった地球上の生物のあふれんばかりの活動も欲も絶望も、
いっさい見えない。あちこちに斑点のある青い球が見えるだけだ。
同じように、光を反射しているコップの水のなかでも、じつは無数
の分子、地球上の生命よりはるかに多い分子が騒々しく活動してい
る。」(太字は筆者)と。つまり、われわれの生存本能に規定された
視力とは当然のことながら実用に則した手段であって、その対象物
が水の入ったコップだったとすれば、コップの中で騒々しく活動す
る無数の水の分子までも見透すことはできない、もちろんその必要
がないからだ。われわれが認識する世界と科学者が追い求める真理
には大きな隔たりがある。カルロ・ロヴェッリが観察する「騒々し
く活動する」水の一分子がやがて気化し上昇して対流圏にまで達し
てすぐに凝縮し、再び雨になって地上に落ちて来て、元のコップが
あった家のある街一帯を押し流すほどの洪水になって戻って来たと
しても、その水の一分子が辿った「時間」と、そして洪水に怯えな
がらひたすら過ぎ去ることを願う人々の「時間」とは何の繋がりも
ない。
(つづく)