「菅官諤々」(4)

2011-05-08 11:22:03 | 「パラダイムシフト」
             


                「究極の選択」




 菅総理が浜岡原発の稼動停止を独断で要請したことに対して批判

の声があるが、恐らく、事前に関係機関に諮っていればその決断は

官僚たちによって潰されていただろう。そして、その責任だけが彼

に負わされ、官僚たちは一切その責任を負わない。彼等の肩書きに

は権力は備わっていても責任は無いのだ。つまり、菅政権は官僚た

ちの反菅の四面楚歌の中で遠くに聞こえる国民の声だけが頼りなの

だ。勢い、事前通達なしで国民に直接訴える他手立てがなかったの

ではないだろうか。鳩山元総理の米軍基地問題の時もそうだった様

に、官僚は総理の決断に沿って動こうとはしない。「最低でも県外」

は充分国民の理解を得られる判断だったが、結局、官僚に覆されて

自刃してしまった。縦しんば、官僚の意見に従って第二の原発事故

が発生したとしても、その責任は菅総理にあって、官僚には無いの

だ。

 その決断とは、最も最悪の事態を想定すれば、当然、東海地震が

起こって第二の原発事故が発生することである。原子炉の稼動停止

要請も偏にそれを避ける為に他ならない。それでは、その為に派生

する電力不足がもたらす社会生活の混乱と、今、現に福島原発で起

こっている放射能汚染による混乱の再現のどちらを避けなければな

らないのだろうか?譬え万が一であっても、第二の原発事故のリス

クを負ってはならない。縦しんば、電力不足によって産業が滞り経

済不安に陥ったとしても、それは次の段階として対処しなければな

らない。決して、生活や経済の為に決断を翻すことはあってはなら

ない。何故なら、原発事故はそれらに優先する国民の生命自体を脅

かす事態であるからだ。豊かな暮らしの為に生命をリスクに晒すの

は本末転倒である。今こそ我々は、被災地だけに留まらない国を挙

げての「オールジャパン」の取り組みが求められているのではない

だろうか。


                                 (おわり)


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「あほリズム」

2011-05-08 03:06:49 | アフォリズム(箴言)ではありません
                 「あほリズム」                


                    (139)                

 我々は、「All japan」を叫ぶ前に、まず、「All alone」に耐え

なければならない。つまり、「All japan」は「All alone」からしか

生まれて来ない。



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「菅官諤諤」(3)

2011-05-06 22:06:31 | 「パラダイムシフト」
          



              「菅総理を支持する」




たった今、菅総理が記者会見をして、中部電力の浜岡原発の4、5

号機の稼動停止を要請した。浜岡原発は以前より「世界一危険な原

発」と言われてきた。 唐突な決断だと言うが、恐らく官僚たちの抵

抗があって諮ることは出来ないのだろう。鳩山元総理の米軍基地問

題の時もそうだったではないか。しかし、地震予知が不可能な限り

計画的な停止など無意味である。地震そのものが唐突に起きるのだ

から、発生前に決断することは然るべき決断である。もしも、浜岡

原発でも福島原発と同様の事故が発生すれば、恐らく日本は二度と

立ち直れないだろう。原発事故は絶対に福島だけに留めなくてはな

らない。そして、原発に代わる新たなエネルギーの開発に転換する

他ないだろう。原発への依存によって、我が国の環境技術は高い技

術力があるにもかかわらず、日の目を見なかった。福島原発の事故

によって、我々は立ち遅れたのではなく、構造転換の先頭に立って

いることを改めて認識しなければならない。そして、環境に沿った

技術革新によって自然循環型社会を創生するべきではないだろうか。

それには、何よりもまず、我々は不便に耐えなければならないが。

IPCCの第4次報告では、ガンジーの次の言葉が引用された。

「この世界の内に望む変化に、あなた自身がなってみせなさい」


我々は、この地球の上でしか生きられないのだ、今のところは。 

私は、菅総理の英断を支持します。


                            (おわり)


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「あほリズム」

2011-05-06 06:53:02 | アフォリズム(箴言)ではありません
               「あほリズム」

             

                  (136)

 マスメディアは「真理」を伝えることがミッションであるなら、

如何なることがあっても「真理」を隠蔽してはならない。つまり、決

して贖宥状(免罪符)を売ってはならない。それはジャーナリズムの

死を意味する。果して、本朝の宣教師たちは神の言葉(真理)を歪め

ずに伝えているだろうか?                  



               (137)


 個人主義者にとって、「天皇陛下、万歳」と、「将軍様、マンセー」の

違いがわからない。互いに反撥を禁じ得ないほどに国民性は近しい。


                (138)


「原子力村」のタコツボ組織にしろ、或は「政官財」の癒着の構造

にしろ、そこに働くのは我々の伝統精神、つまり、「和を以って尊

し」である。部外者はそれを「馴れ合い」と呼ぶ。



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「不便な生活」

2011-05-03 21:55:12 | 「パラダイムシフト」
                 


               「不便な生活」                


 震災に遭った町が避難所にいる被災者の為に仮設住宅を用意した

ところ、被災者の多くが入居を拒否したと、夜のニュースで伝えて

いた。その理由は、造られた場所が交通の不便な所だからというこ

とだった。取材を許した人はちゃんとした人で、話を聞けば彼の言

うことは尤もだと思った。元の生活に戻りたいと願っている人々に

とって、不便な生活は少しでも避けたいと思うのは当然のことであ

る。いくら仮設住宅で家族が一緒に生活できるとしても、社会から

隔絶された不便な山間の場所では、とても元の生活に戻った心地は

しないだろう。ただ、津波による不明者が未だ埋もれている瓦礫だ

らけの被災地に仮設住宅を造ることなど出来ない。当然、津波の被

害の及ばなかった山間の不便な場所に建てざるを得ない。元の便利

な暮らしを取り戻そうとすれば、再び津波に襲われた町の復旧を望

むしかない。復興に向けた様々な構想が語られ始めたが、被災され

た人々が震災前の便利な生活を取り戻そうと望む限り、恐らく新し

い計画は思い通りには進まないだろう。再び津波の被害に遭わない

為の復興計画も、自然エネルギーによる環境に配慮した町づくりも、

それらは何れも、これまでの生活からは想像できない程に不便を強

いられるものであることを覚悟しなければならない。そうでなけれ

ば、何れ、震災の記憶も薄れた頃に、再び平地を求めて海岸線に密

集し始め、それどころか、今度こそは絶対に安全だからと説き伏せ

られて、原発に支えられた危うい豊かさを再び受け入れることだっ

てあるかもしれない。しかし、折角何もかも失ったのだから、また

同じ生活を取り戻すだけではあまりにも勿体ないではないか。時は

今、地球温暖化による環境問題がIPCCの第四次報告(2007年)に

よって警鐘が鳴らされ、自然循環型社会への転換が叫ばれて久しい。

東北に限らず、世界は自然の逆襲に曝されているのだ。とは言って

も人間が撒いた種なんだけど。何もかも失ったならば、いっそ、近

代文明を見直して、IPCCの提言を受け入れて自然循環型社会へ

の転換を模索してはどうだろうか。もちろん、不便な生活を覚悟し

なければならないだろうが。それでも、時代に抗って「逆行」するこ

とが新しい時代を生む為の最先端だってこともあるんじゃないだろ

うか。ただ、目先の便利さにばかり捕われていれば再び同じ轍を踏

むことになるだろう。つまり、我々の価値観の転換こそが迫られて

いるのではないだろうか。


                               (おわり)


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