「なにもかも小林秀雄に教わった」

2017-11-05 13:54:42 | 従って、本来の「ブログ」

      「なにもかも小林秀雄に教わった」

 


 敬愛していた哲学者木田元の著書に「なにもかも小林秀雄に教わっ

た」(文春新書)というのがあるのを知った。アマゾンで取り寄せよう

と思ってカスタマーレビューを見たら、題名から想像する内容とはま

ったく違っていた、と記されていたので躊躇った。レビューの最後に

「このレビューは参考になりましたか?」とあったので「はい」をク

リックして、注文するのを止めた。私は、もしも若い人にどんな本を

読めばいいかと訊ねられたら、迷わずに小林秀雄を勧めるだろう。ま

さに私自身も「なにもかも小林秀雄に教わった」からだ。かつては何

処の本屋に行っても、そういえば本屋にもまったく行かなくなったけ

れど、小林秀雄の文庫本は書棚の一列を独占するほどに並べられてい

て、何十年か前に書店に並んでいた何冊かが私の本棚の片隅に埃をか

ぶって置かれていた。その一冊を何気なく手に取って、「私の人生観

」という題名だが、間違いなく一度は目を通したはずだったが全く記

憶に残っていなかった。それから暇を見付けて読み進めるうちに、巧

みな文体に引き込まれて最後は齧り付くようにして読み終えた。そも

そもは戦後すぐの時期に講演で語ったものを活字にしたもので、敗戦

の喪失感に打ち拉がれて一縷の希望を求めて駆け付けた聴衆を前に、

本来は講演嫌いだった小林秀雄の弁舌も次第に熱を帯びてきて、彼が

これまでに影響を受けた人物や思想、釈迦を始め仏僧たちから西行、

宮本武蔵、ベルグソンなどと多岐に渡って語られる。すべてを取り

上げるわけにはいかないので、ここでは特に気になったベルグソン

の言葉を引用して小林秀雄が語ったことを記します。

 「ベルグソンが、晩年のある著作のなかで、これからの世にも大芸

術家、大科学者が生まれるかも知れないが、大政治家というものは、

もう生まれまい、と言っております。つまり政治は、現在すでに大政

治家などいよいよ必要としない傾向をたどっているというのです」そ

して「政治の仕事が国際化して、いよいよ複雑なものになると、その

取り扱う厖大な材料に関する正確な知識などは、どんな政治専門家の

手にも余る。」「そこで、どうしても政治の仕事には、組織化という

ものが必要になってくる、組織化とは機械化を意味します。イデオロ

ギイの上で相反目する党派も、組織化された集団という一種のメカニ

ズムの力で、仕事の能率を上げようとする傾向では歩調を合わせてお

ります」そして「政治家は、社会の物質的生活の調整をもっぱら目的

とする技術家である、精神生活の深いところなどに干渉する技能も権

限もないことを悟るべきだ。」

この講演は昭和23年(1948)秋に催されました。ベルグソンも1

941年にこの世を去っています。すでに戦前から、政治家が政治を

動かすなどということが出来なくなるだろうと言っています。そして

「政治家は、文化の管理人乃至は整理家であって、決して文化の生産

者ではない。科学も芸術も、いやたった一つの便利な道具すら彼らの

手から創り出された例はない。彼らは利用者だ。」「こういう常識の

上に政治家の整理技術は立つべきであると考えているだけでなのです

。」もはや政治思想でさえも「社会の物質的生活の調整をもっぱら目

的とする」整理思想でしかない。

 時を経て、今日ではIT技術の進歩によってその情報量たるや当時

とは比較にならないほど増加して、政治は更に組織化され、つまり機

械化され、一人の政治家の思想によってすでに稼働している機械の操

業を止めさせることなど簡単にできるわけがない。これまで改革を叫

びながら何も変えられなかった指導者がどれ程居ただろうか。逆に言

えば、先進国ではもはや有能な指導者など必要がない。組織化された

政治システムが政治家をバックアップして、たとえトランプ大統領や

安倍首相でもそれなりにリーダーに収まる。彼らがどれほど的外れな

ことを言っても、すでに飛び立った飛行機を引き返えさせるようなこ

とは出来ない。いずれAI(人工知能)の進歩によって政治家そのもの

が不要になるだろう。そもそも整理家にすぎない政治家が経済成長を

スローガンにすることに欺瞞を感ぜずにはいられない。トランプノミ

クスにしろアベノミクスにしても、その方向性は真反対だが、制度を

改めたからといって経済が活気を取り戻す時代はもうとっくに終わっ

た。もはや豊かさのパイは増やせないのだ、整理家たる政治家は主権

者たる国民に如何に平等に豊かさを分配するかだけが求められている

 先日、通勤途上の車のラジオでAI(人工知能)について書かれた本

の内容を紹介をしていた。すでにほとんど忘れてしまったが、と言う

のも凡そのことは想定内のことであって、この社会が続く限り、つま

りこれまで蓄積されたデータが生かせる環境であるという前提の下で

、社会の選択の大半はAIに取って代わられるだろうと思えたからだ

。が、最後にAIが予測できないものとして哲学と芸術が取り上げら

れて、私はすぐに哲学者ニーチェの言葉が頭に浮かんだ。

「われわれは真理のために没落することがないようにするために芸術

をもっている」

「真理」を科学、或はAIと置き換えれば、神の座を得たAIの下で

、われわれは生れ堕ちた瞬間にその遺伝情報や家庭環境、資質や能力

といった諸々のデータから、もちろん多少の誤差があるにせよ、自分

にとっての最善の人生が選択される。しかし、そもそも始まる前から

すべてが決定された人生をわれわれは受け容れられるだろうか?とこ

ろで、AIが正確に機能するためには同じ条件の下で蓄積したデータ

がなければならない。たとえば将棋の升目が一列増えただけでも過去

のデータは役に立たなくなりAIは機能しない。ところが哲学と芸術

はデータ化できない抽象的な世界を創造することであったり、前提と

なる条件を様々に変化させ、時には破壊して本質を掴もうとする。そ

れは絶え間なく変化する自然環境に応じて変化する「生成」の仕組み

に近い。データ化された情報から逃避してデータ化されていない新し

い世界を創造しようと試みる。つまり、AIがどれほど進歩しても生

成の仕組みを解き明かして生命そのものを「作成」することなどでき

ないだろう。

                         (おわり)

 

 


「あほリズム」(370)

2017-11-04 02:28:12 | アフォリズム(箴言)ではありません

          「あほリズム」

           (370)

 われわれは、かつて「生れ出ずる歓び」に充ち溢れて生れ堕ちた。

ところが、社会に出ると「生れ出ずる悩み」に苦しむ。

そうだ、童心に帰って「生きる歓び」を取り戻そう、

社会の柵(しがらみ)なんか飛び越えて、

たとえ、胸の傷が痛んでも・・・

 

 


「あほリズム」 (368)

2017-11-02 06:08:10 | アフォリズム(箴言)ではありません

            「あほリズム」

             (368)


神秘的なのは、世界がいかにあるかではなく、

世界があるということである。             

    ヴィトゲンシュタイン[論理哲学論考]

謎なのは、世界がいかにあるかではなく、

世界があるということである。

               ケケロ脱走兵