「ダス・マン (Das Man)」

2020-12-19 23:46:48 | 「個人と社会」

         「ダス・マン (Das Man)」

 

 以下はウィキペディア「ダス・マン」より、なかなか分り易い

ので掲載しました。

          *      *      *

 ダス・マン(Das Man)とは、ハイデガーによる哲学の概念であり、

「世人」とも訳される。人間というのは個としての死が必然である

ということを自覚せざるを得ない能力を持っており、主体的に生き

ることが運命付けられている存在であるにもかかわらず、このこと

を考えずに紛らわして過ごしている人間のことを言う。社会におい

て生きる人間というのは、他者とは道具的に出会うということが多

く、これは仕事中の他者と仕事相手として出会うということである

。ここでは他者は自らの便宜のためであり、自らも他者の便宜のた

めに道具的に存在しているということである。人々はこのような公

共的な世界での生活に埋没し、気晴らしを楽しみ、時間を潰しなが

ら生きているわけであるが、ハイデッガーはこのような生き方は

来の人間らしくない生き方であり、これを頽落と表現し、このよう

な生き方をしている人々のことを「ダス・マン」と表現した。この

「ダス・マン」という言葉は、人間を非人間的に表現する言葉が名

詞化されているということであり、人間ならば誰であってもかまわ

ないという生き方が暗示されている

 


「あほリズム」(787)

2020-12-12 07:46:44 | アフォリズム(箴言)ではありません

         「あほリズム」

 

           (787)

 

 中国共産党の管理主義政治に従う「畜群」と化した中国人民は、

まず、ヒエラルキッシュな儒教道徳から解放されなければ民主化

は覚束ない。なぜなら、畜群は自由と民主主義など望まないから。

 

           (788)

 

 儒教道徳とは畜群道徳である。


「一難去らずにまた一難」ー②ー

2020-12-11 07:27:30 | 従って、本来の「ブログ」

          「一難去らずにまた一難」

 

               ー②ー

①は、「一難去らずにまた一難」です。

 かつて今年の2月20日に以下のニュースが報じられました。

 【上海=南部さやか】中国農業農村省は1日、湖南省邵陽市の養鶏
場で、鳥インフルエンザ(H5N1型)が発生したと発表した。ニワ
トリ4500羽が感染して死んだ。感染が広がらないよう、1万78
28羽を殺処分したという。湖南省は、新型コロナウイルスによる肺
炎患者が集中する湖北省に隣接している。
 H5N1型は人にも感染することがあり、中国では、2005年に
初めて人への感染が確認された。世界保健機関(WHO)の1月20
日時点のまとめでは世界で455人が死亡している。

          *       *       *

 いまや世界中は新型コロナウイルスのパンデミックに悪戦苦闘して

いますが、実は北半球は冬を迎えて鳥インフルエンザ(H5N1型)

の脅威にも襲われています。すでに西日本の各県の養鶏場では感染が

確認され数十万羽のニワトリが殺処分されています。そして、このウ

イルスの発生源もコロナウイルス同様中国が疑われています。

以下は厚生労働省関西空港検疫所のサイトから、https://www.forth.go.jp/keneki/kanku/index.html

鳥インフルエンザは、インフルエンザA型ウイルスによる家禽の感染症です。本来は、カモやガチョウなど水禽に症状なく感染していたものが、ニワトリなど家禽に感染が拡がったウイルスで、亜型により病原性が異なります。鳥インフルエンザ(H5N1)ウイルスはニワトリに対しては致死性が高く、高病原性鳥インフルエンザに分類されます。
これまで鳥インフルエンザウイルスのヒトへの感染はまれとされていましたが、1997年の香港で鳥インフルエンザ(H5N1)のヒト感染例が確認されて以降、現在までに東南アジアやエジプトを中心に断続的に患者の報告があります。
今後、ヒトからヒトへ効率的に感染する能力を獲得した新型ウイルスに変異(その際に新型インフルエンザウイルスに指定される)し、世界的流行(パンデミック)を引き起こす危険性があることから検疫感染症に指定され、検疫所では継続して警戒を実施しています。

        *       *         *

 今朝、ニュースを観ていると、コロナ禍で流通システムが寸断さ

れ鶏肉が高騰していると言ってましたが、おそらく、鳥インフルエ

ンザの感染が蔓延すればそれどころではないでしょう。


「あほリズム」(786)

2020-12-11 05:41:33 | アフォリズム(箴言)ではありません

          「あほリズム」

 

            (786)

 

 わが国における新型コロナウイルスのパンデミックによるこれまで

で最大の感染被害をもたらした第3波の襲来は、第1波、第2波とロ

ックダウンを余儀なくされた欧米諸国よりは比較的軽度で済んだこと

の原因が確かめられず、にも拘らず相も変らぬ日本人特有の根拠のな

い「非論理的な楽観主義」によってもたらされた。

 つまり第3波を吹き飛ばす三度目の「神風」は吹かなかった。

 


「二元論」

2020-12-06 11:20:02 | 「二元論」

           「二元論」

 

 そもそも「二元論」とは、辞書によれば「異なった二つの原理で

あらゆるものを説明しようとする考え方」(Goo辞書)で、ことに有

名なのは哲学者ルネ・デカルトが自著「方法序説」で取り上げた精

神と物質の二元論ですが、しかし、そもそも我々が「存在とは何で

あるか?」を問うとき、存在は理性によって《分析》され事実存在

と本質存在に二分され、本質存在こそが永遠不変の真理として認め

られる。ハイデガーによれば、デカルトよりもずっと前に「存在と

は何であるか?」を思索し、それを最初に著作として残したのは古

代ギリシャにおいてソクラテスの下で学んだプラトンとその弟子ア

リストテレスで、西欧形而上学的思惟の歴史は彼らから始まった。

ところで、我々の存在が真理であるとすれば、真理は永遠不変でな

ければならないが、ところが我々はいずれ死滅する限られた存在で

しかない。いずれ死滅する存在とは「仮象」の存在であり、我々が

存在するこの世界は無常に遷り変る仮象の世界である。それではこ

の仮象の世界を超えた「真の世界」はいったい何処にあるのか?プ

ラトンは、それはイデアの世界であり、イデアこそが永遠不変の真

の世界であり、この世界はイデアの世界の《似像》にすぎないと「

二世界論」、つまり「二元論」を説いた。それは「真理は一つ」を

追い求める我々の理性が最終的に世界中のものごとを二元化させる

のだ。今日でさえも「真理は一つ」の一元化を迫られて、環境保護

か経済発展か、将又(はたまた)コロナ禍での経済活動の自粛か継続

かの二元論の選択から逃れられないでいる。つまり、二元論とは我

々の理性が規定する「真理は一つ」がもたらす限界での二極対立で

あり、それは「真理は一つ」という幻想を追い求める理性の最大の

欠点に違いない。果たして「真理は一つ」なのか?

                        (つづく)