「あほリズム」(872)

2021-11-11 06:48:13 | アフォリズム(箴言)ではありません

      「あほリズム」

 

       (872)

 

 「成長と分配」の困難さは身近な国を見れば窺い知ることができる。

 かつて隣国中国は「先富論」によって驚異的な経済成長を果たした

が、いまや習近平主席指導の下「共同富裕」、つまり貧富の格差を分

配によって是正しようとしている。果たして中国は「一国家ニ制度」

を改めて共産党の下で豊かさを平等に分配することができるだろうか、

それとも再び一党独裁の下、北朝鮮のように自由が管理された貧しい

国に戻って行くのだろうか?

 ところで、安倍政権でも「成長と分配」を華々しく掲げたが、しかし

わが国はその分配をもたらす成長をほぼ30年余り果たせず、貧しさ

だけが分配されて掛け声倒れに終わったアベノミクスの二の舞だけは

勘弁してもらいたい。そもそも経済成長を前提にするのであれば分配

は期待できないだろう。


「あほリズム」 (870)

2021-11-08 04:48:43 | アフォリズム(箴言)ではありません

    「あほリズム」


      (870)


 かつて、欧米列強による植民地支配から遁れるために近代化を急い

だわが国は、エネルギー資源に乏しいことから海外からの輸入に頼ら

ざるを得なかったが、わが国のアジア大陸への進出を快く思わない欧

米列強が石油の輸出を禁止したことから経済が滞り、ついには日米戦

争へと突き進んで行った。こうして化石燃料が乏しいことがわが国の

経済発展にとって大きな障害であったが、ところが、いまや化石燃料

がもたらす温室効果ガスによって地球温暖化による気候変動が問題化

して、世界は温室効果ガスの排出量を減らそうと呼び掛けている。こ

れは化石燃料をこれまで輸入に依存するしかなかったわが国の経済に

とってまたとないチャンスに違いないはずだが、どうもそうではない

らしい。わが国の基幹産業である化石燃料を用いる自動車会社のトッ

プは、いわゆる「カーボン・ニュートラル」政策に対して異議を呈し

ている。たしかに、すでにある産業そのものを転換させるには大きな

リスクが生じるだろうが、輸入に依存しなければならなかった化石燃

料の転換は技術大国ニッポンにとって決して「カイゼン」できない問

題ではないはずだ。何よりも問題は、既存の生産システムに依存する

あまりすでに限界に達した近代社会の転換を見誤ることではないだろ

うか。そもそも化石燃料への依存から脱け出すことはわが国の宿年の

悲願だったはずではないか。つまり、われわれはこう言うべきである、

「遂に環境立国を掲げるわが国の時代が来た!」

と。そうでなければわれわれは既得権益のぬるま湯から脱け出せない

茹でガエルではないか。


「あほリズム」(869)

2021-11-03 19:38:57 | アフォリズム(箴言)ではありません

      「あほリズム」

 

       (869)

 

 私はかねてより野党の政治家たちがなぜ国民の幸福度が高い北欧

諸国の民主社会主義を参考にしないのかと思っていたが、すでに資

本主義経済の宗主国アメリカでさえも民主社会主義を自認するバー

ニー・サンダースがアメリカン・ドリームから醒めた若者たちの支

持を得て社会主義化への流れを加速させているが、しかし遂にわが

国にも民主社会主義を掲げる立民党の政治家小川淳也が現われた。

私は彼の政治信条を支持して「アンガージュマン(仏engagement

政治参加)」(J.P.サルトル)しようと思う。小川淳也、彼こそが日本

の若きバーニー・サンダースだ。たぶん多くの人は天皇制がなくなる

と言うかもしれないが、北欧諸国はいずれも国王が国家元首の立憲君

主制の王国である。つまり民主社会主義体制へ転換しても象徴天皇制

を存続することに何の問題もない。


「あほリズム」(868)

2021-11-03 09:57:52 | アフォリズム(箴言)ではありません

      「あほリズム」

 

        (868)

 

 「われわれは結党以来決して誤った主張はして来なかった」と日

本共産党は言うかもしれないが、それは単に政権から懸け離れてい

たからだけであって、しかし「世界とは変遷流転する生成である」

とすれば、時代の変化にそぐわなくなった綱領さえも改めようとし

ない〈ドグマティズム〉(教条主義)こそが人々に恐怖感を芽生えさせ

る。「世界とは生成であり、真理とは幻想である」(ニーチェ)とすれ

ば、絶対不変のドグマに固執する教義主義は幻想にほかならない。幻

想から遁れるためにはまず他国によって穢された党名を改めることも

国民に近付くための第一歩に違いない。