【 2013年1月25日 】 京都コンサートホール
私の“お気に入り”の1つのベルリオーズの『幻想』を京響がやる。コンサート・ホールでの定期演奏会だから行かない手はない。席は舞台後方2階の一番安い2千円の「ポディウム席」。演奏者の背中と指揮者を正面から望める席だ。
“前奏”のハイドン『トランペット協奏曲』はルベン・シメオというスペインの若い演奏家のトランペットで演奏されたが、やわらかい音色とアンコールで見せた超絶技巧は思わぬ“発見”だった。“前座”なんていうものではない、こんなソリストもいるんだと、思わぬ“成果”に感激する。
ベルリオーズの『幻想』はやはり名曲だ。オーケストラの音の可能性をふんだんに引き出してくれる。この曲を、広上淳一がどのように演奏するか楽しみだった。
第1楽章から第3楽章まではちょっとつくりすぎの感じがする。指揮者の正面からその動作を見ているものだから、音だけでなくそのオーバーアクション気味の指揮スタイルが目に入ってしまう。たとえれば、小泉和裕が八代目『林家正蔵』(彦六)のように(パッソションを内に秘めながらも)淡々と正攻法で指揮していくのに対し、広上淳一の方は『桂紫雀』の落語スタイルを連想してしまう。目をつぶって聴けばいいのだが、そうも行かない。
それでも、第4楽章、第5楽章は圧巻だった。派手なパフォーマンス(しかられるかな?)の指揮棒の先から出てくる音は圧倒的な響きとピタリとした調和を持っていた。ただ、残念だったのは、あの鐘の音である。きれいな管弦楽の音色にあの大きな音の電子音はあわない。それが舞台とは別の、後方席の更に後ろの、自分らに近い位置の背後で鳴り響くものだからたまったものではない。
かなり以前、何種類か聴いたレコード演奏(CD?)の1つに、ひどい鐘の音をならしたオーケストラがあった。それまでの演奏がぶちこわしになるくらい“壊滅的な”音だった。
今回の京響がそこまでとはいかないが、何とかならなかたっかと思う。ベルリオーズの『幻想』の《鐘》は要注意である。
いつも楽しく読んでいます。文章がうまい。
あの鐘の音、電子音ではないんですか!? 耳元でかなり大きな音で鳴り響いたものだからボリューム・コントーロールを誤ったかと思って! 2003年の小泉和祐の演奏は素晴らしかったけど、ピエール・モントゥーのものがやはり一番好きです。