【 東平安名にあるどっしりした迫力のある灯台 】
【第2日目】 7月9日 午前中:ホテルのプールで過ごす-12:00外出-12:30 伊良部道の駅で昼食-13:00 一路、島の東端「東平安名埼」へ
(灯台から絶景を楽しむ)-15:00「地下ダム資料館」-16:50市内に戻り盛加ガーを見学-17:30ホテル到着
宿泊ホテルでは、毎朝の朝食だけは付いていた。今回の旅行は、あちこち見て回る観光旅行でなく、ゆっくりくつろぐことを第一に考えていた。そのことを考えると申しこんでおいたツアーが催行中止になったのはある意味よかった。何せ、与那国の3つか4つの島を渡り歩く駆け足の日程だったので、せわしくゆっくり休むこともできなかったかもしれない。
【 朝食を終えて、一段落 】
食事を済ませた後、天気もいいので、午前中はプールで過ごすことにする。
【 ホテルのプール - 沖合に伊良部大橋を望む 】
大小3つのプールがあって、一応家族用、子供用プール、大人のプールと分けられているようである。用意されているプール用の白いガウンを身に着け、プールサイドに行く。南国の太陽はやはり気持ちがいい。ひと泳ぎしては長椅子に横たわり時間のたつのを忘れる。
ホテルのプライベート・ビーチに出てみる。そこにも安楽椅子が用意されていて、こちらはより開放的で人が少ない分、ゆったり過ごせる。
身を横たえていると、監視員も兼ねている係員らしき若者が近寄ってきて、有料だからとサインを求められる。1時間1500円也。
【 ビーチから伊良部大橋を見る 】
2時間が知らぬ間にすぎる。どこかで昼食を取らねばならないので、外に出てみることにする。車を伊良部島に走らせる。「海の駅」とやらがあって、そこにレストランがあるとガイドブックにあった。ホテルから見た橋、渡ってみると意外と長く中々渡り切らない。昨日渡った池間大橋の長かったが、こちらは3km以上あるというからすごい。
【 伊良部「海の駅」から伊良部大橋 】
「海の駅」は橋を渡ってすぐのところにある。こちらから見る橋は、また奇妙な曲線を描いている。
【 宮古名物「ソーキそば」 】
何を食べようかと思ったが、沖縄ソバの類しかなかったので、その中で一番本格的なものを選んでみた。出されてきた品物を見てちょっと驚く。予想よりはるかに大きい骨付きの豚肉の塊がどんぶりを覆うように乗かっている。脂ぎって、ちょっとグロテスクにさえ思えて、ソバもスープの味も美味しいとは思えず、半分しか食べられなかった。やっぱり、ソバの類はタンメンに限る。
気を取り直して外に出る。伊良部島は後日改めて見学する予定で、今日は橋を渡り戻して、東に向かう。
【 東平安名埼案内図 】
市内を通りぬけ、不規則に曲がりくねる道を東の方向に向け車を走らせる。東に向かっていると思っていたら、いつの間にか北に向かったりで宮古の道路は分かりずらい。
長く伸びた岬の途中に車を停め、先端の灯台に向けて歩いていく。
【 透明な海 】
灯台に登れるというので、早速登ってみる。太く長めの胴体の中が丸々螺旋階段になっていて、中々頂上にたどり着けない。
やっと着いて、外に出ると絶景が広がる。
下を見ると、かなり高いのがわかる。
***********************************************
以前、何処の灯台に登ったか思い出してみたら、沖縄にある残波岬の灯台だった。沖縄で一番高い灯台だと書かれていた。
*********** 【 上4枚の写真-2015年の沖縄旅行で 】 *************
ともかく、高いところが好きなのだ。 景色を堪能した後、次の目的地に向かう。
宮古島行きを決めた時、ガイドブックで「地下ダム」という表示を地図上に発見する。いったいどんな観光スポットなのかと想像するが、特別な記述もなくわからない。鍾乳洞みたいな大きな洞穴があって、そこで地下水が勢いよく流れているのを堰き止めてダムを作って発電でもしているのかと、途方もない想像をする。どんなものか見たいという好奇心が膨らみ、是非行ってみようと妻と相談する。
東平安名埼から市内に戻る途中に、それは有るはずだった。それにしても宮古島の道路は分かりにくい。 頼りにならない地図を脇に置いて走り回っているうち、それらしき場所に出る。地味で全然観光スポットらしくない。 地下ダムはどこにあるのかと半信半疑で、とりあえず「資料館」に入る。 訪れる人は他に居ない。
【 地下ダム資料館 】
そこで地下ダムの事を初めて知った。
宮古島には地表を流れる川は無いそうである。そういえば、海にかかる橋はいくつも渡ったが、川に架かる橋にはお目にかかっていない。
宮古島は他の八重山の島々と違って、全島はサンゴの死骸などが堆積してできた、透過性の高い石灰岩層で覆われているそうである。だから、降った雨の大半は、地表を流れずに地中に吸い込まれ、泥岩層を伝って、そのまま海に流れてしまうのだという。地下ダムは、杭を何本も打ち、その流れを堰き止め、地下に貯水槽を作り水を貯めこむものと知った。それに取り掛かった歴史は意外と最近の事で、沖縄返還後の昭和50年に始まり、全て完成したのは平成12年の事という。それまで、宮古島の人は何度も大干ばつに苦しめられていたそうである。
【 止水堰の構造 ー 杭を何本も打って、壁を作る 】
【 地下ダムの仕組み 】
【 ボーリング 掘削機 】
島を車で走っていると、巨大なタンクがあちこちにある。石油タンクでもない、何のタンクかと思ったら「ファーム・ボンド」という、地下ダムで貯めた水を吸い上げて、農地に配水するための施設だった。それができるまでは、雨水にのみ頼っていた農業は、水不足で成り立たなかったという、宮古島特有の事情があったという。
大半の雨水が地表を浸透し、そのまま海に流れてしまうが、運よく地下にたまって湧き出る水をくむ場所が「がー」と呼ばれる場所だ。やはりガイドブックに「大和井(ガー)」やら「盛加ガー」とかのポイントの記載がある。地下ダムができる以前の《貴重な水》を得るポイントだったことが、資料館で得た知識でよく理解できた。第1日目に、何となく探してみたが、結局所在が分からず探すのを諦めていたが、今度は真剣に探してみた。
街中の民家の裏側に、それは有った。道順を示す案内板も何もない。鬱蒼と生い茂った木々の間に、長い間放置されていたかのような様子で、よっぽどその気にならないとわからない場所だった。
【 盛加ガーの案内図 】 と 【 入り口 】
樹木の枝が絡まり、蜘蛛の巣が張っている崩れかけた階段を下まで降りると、今は使われていない水場があった。(妻は気味が悪いと言って、下には降りないで階段の上で待っていた)ここで、洗濯や生活のための水を確保するため、主婦たちが毎日、何段もある階段に足を運んだのだと思うと、その苦労が偲ばれる。
この晩も、コンビニで食糧を買い入れ、ホテルで質素な夕食をとる。
【 ホテルで夕食 】
【第2日目】 7月9日 午前中:ホテルのプールで過ごす-12:00外出-12:30 伊良部道の駅で昼食-13:00 一路、島の東端「東平安名埼」へ
(灯台から絶景を楽しむ)-15:00「地下ダム資料館」-16:50市内に戻り盛加ガーを見学-17:30ホテル到着
宿泊ホテルでは、毎朝の朝食だけは付いていた。今回の旅行は、あちこち見て回る観光旅行でなく、ゆっくりくつろぐことを第一に考えていた。そのことを考えると申しこんでおいたツアーが催行中止になったのはある意味よかった。何せ、与那国の3つか4つの島を渡り歩く駆け足の日程だったので、せわしくゆっくり休むこともできなかったかもしれない。
【 朝食を終えて、一段落 】
食事を済ませた後、天気もいいので、午前中はプールで過ごすことにする。
【 ホテルのプール - 沖合に伊良部大橋を望む 】
大小3つのプールがあって、一応家族用、子供用プール、大人のプールと分けられているようである。用意されているプール用の白いガウンを身に着け、プールサイドに行く。南国の太陽はやはり気持ちがいい。ひと泳ぎしては長椅子に横たわり時間のたつのを忘れる。
ホテルのプライベート・ビーチに出てみる。そこにも安楽椅子が用意されていて、こちらはより開放的で人が少ない分、ゆったり過ごせる。
身を横たえていると、監視員も兼ねている係員らしき若者が近寄ってきて、有料だからとサインを求められる。1時間1500円也。
【 ビーチから伊良部大橋を見る 】
2時間が知らぬ間にすぎる。どこかで昼食を取らねばならないので、外に出てみることにする。車を伊良部島に走らせる。「海の駅」とやらがあって、そこにレストランがあるとガイドブックにあった。ホテルから見た橋、渡ってみると意外と長く中々渡り切らない。昨日渡った池間大橋の長かったが、こちらは3km以上あるというからすごい。
【 伊良部「海の駅」から伊良部大橋 】
「海の駅」は橋を渡ってすぐのところにある。こちらから見る橋は、また奇妙な曲線を描いている。
【 宮古名物「ソーキそば」 】
何を食べようかと思ったが、沖縄ソバの類しかなかったので、その中で一番本格的なものを選んでみた。出されてきた品物を見てちょっと驚く。予想よりはるかに大きい骨付きの豚肉の塊がどんぶりを覆うように乗かっている。脂ぎって、ちょっとグロテスクにさえ思えて、ソバもスープの味も美味しいとは思えず、半分しか食べられなかった。やっぱり、ソバの類はタンメンに限る。
気を取り直して外に出る。伊良部島は後日改めて見学する予定で、今日は橋を渡り戻して、東に向かう。
【 東平安名埼案内図 】
市内を通りぬけ、不規則に曲がりくねる道を東の方向に向け車を走らせる。東に向かっていると思っていたら、いつの間にか北に向かったりで宮古の道路は分かりずらい。
長く伸びた岬の途中に車を停め、先端の灯台に向けて歩いていく。
【 透明な海 】
灯台に登れるというので、早速登ってみる。太く長めの胴体の中が丸々螺旋階段になっていて、中々頂上にたどり着けない。
やっと着いて、外に出ると絶景が広がる。
下を見ると、かなり高いのがわかる。
***********************************************
以前、何処の灯台に登ったか思い出してみたら、沖縄にある残波岬の灯台だった。沖縄で一番高い灯台だと書かれていた。
*********** 【 上4枚の写真-2015年の沖縄旅行で 】 *************
ともかく、高いところが好きなのだ。 景色を堪能した後、次の目的地に向かう。
宮古島行きを決めた時、ガイドブックで「地下ダム」という表示を地図上に発見する。いったいどんな観光スポットなのかと想像するが、特別な記述もなくわからない。鍾乳洞みたいな大きな洞穴があって、そこで地下水が勢いよく流れているのを堰き止めてダムを作って発電でもしているのかと、途方もない想像をする。どんなものか見たいという好奇心が膨らみ、是非行ってみようと妻と相談する。
東平安名埼から市内に戻る途中に、それは有るはずだった。それにしても宮古島の道路は分かりにくい。 頼りにならない地図を脇に置いて走り回っているうち、それらしき場所に出る。地味で全然観光スポットらしくない。 地下ダムはどこにあるのかと半信半疑で、とりあえず「資料館」に入る。 訪れる人は他に居ない。
【 地下ダム資料館 】
そこで地下ダムの事を初めて知った。
宮古島には地表を流れる川は無いそうである。そういえば、海にかかる橋はいくつも渡ったが、川に架かる橋にはお目にかかっていない。
宮古島は他の八重山の島々と違って、全島はサンゴの死骸などが堆積してできた、透過性の高い石灰岩層で覆われているそうである。だから、降った雨の大半は、地表を流れずに地中に吸い込まれ、泥岩層を伝って、そのまま海に流れてしまうのだという。地下ダムは、杭を何本も打ち、その流れを堰き止め、地下に貯水槽を作り水を貯めこむものと知った。それに取り掛かった歴史は意外と最近の事で、沖縄返還後の昭和50年に始まり、全て完成したのは平成12年の事という。それまで、宮古島の人は何度も大干ばつに苦しめられていたそうである。
【 止水堰の構造 ー 杭を何本も打って、壁を作る 】
【 地下ダムの仕組み 】
【 ボーリング 掘削機 】
島を車で走っていると、巨大なタンクがあちこちにある。石油タンクでもない、何のタンクかと思ったら「ファーム・ボンド」という、地下ダムで貯めた水を吸い上げて、農地に配水するための施設だった。それができるまでは、雨水にのみ頼っていた農業は、水不足で成り立たなかったという、宮古島特有の事情があったという。
大半の雨水が地表を浸透し、そのまま海に流れてしまうが、運よく地下にたまって湧き出る水をくむ場所が「がー」と呼ばれる場所だ。やはりガイドブックに「大和井(ガー)」やら「盛加ガー」とかのポイントの記載がある。地下ダムができる以前の《貴重な水》を得るポイントだったことが、資料館で得た知識でよく理解できた。第1日目に、何となく探してみたが、結局所在が分からず探すのを諦めていたが、今度は真剣に探してみた。
街中の民家の裏側に、それは有った。道順を示す案内板も何もない。鬱蒼と生い茂った木々の間に、長い間放置されていたかのような様子で、よっぽどその気にならないとわからない場所だった。
【 盛加ガーの案内図 】 と 【 入り口 】
樹木の枝が絡まり、蜘蛛の巣が張っている崩れかけた階段を下まで降りると、今は使われていない水場があった。(妻は気味が悪いと言って、下には降りないで階段の上で待っていた)ここで、洗濯や生活のための水を確保するため、主婦たちが毎日、何段もある階段に足を運んだのだと思うと、その苦労が偲ばれる。
この晩も、コンビニで食糧を買い入れ、ホテルで質素な夕食をとる。
【 ホテルで夕食 】