【 2013年8月17日】 京都シネマ
公開初日とあって、しかも上映後に主役の永瀬正敏らの「舞台挨拶」が予定されていて、会場は人でごった返ししていた。
『不謹慎な映画』という表現は、上映後の舞台挨拶(インタビュー)で、井上監督自身が使った言葉である。
「今日は暑い中、《不謹慎な映画》を見に来ていただいてありがとうございます。」と。
その《挨拶》によると、この映画はたった10日間の日程で、全て京都で撮影されたという。しかも低予算で、出演者やスタッフのギャラは通常の何分の1、俳優に至っては何十分の1のギャラで引き受けてもらったという。
永瀬正敏さんには非常に感謝しているとの言葉が印象的だ。
監督は一貫して平身低頭であった。
キャンペーンで韓国とニューヨークに渡った時の話が面白いと思った。
《今の右傾化している政治状況のもとで、よくこんな映画が作れたのか》と驚きの声があったり、質問をされたという。
自分の経験としても、特に中国の映画を見て、《よくもこんな映画が現代中国で作れたものだ》と驚きと意外の念が混ざり合った感情を持ったことがある。その国にいて、政治状況を判断し、人々の感情を肌で感じ取らないと、わからないことが多いと思ったものだ。(たとえば、『文革』直後に作られた『芙蓉鎮』とか。当時『開放経済』はまだ先と思っていただが・・・。)
また、
《右翼に襲撃されないか》と監督を気遣う発言もあったという。
これには、少し違和感を覚えた。今、この映画を見た日本人の何人が、《そのような危惧》を抱くだろうか。執拗で過激な性描写と、かつて日本兵が中国において行ったような野蛮行為、捕虜虐待《性虐待》を連想させるシーンを、《自虐史観》や《皇軍蔑視》の思想と結びつけることができるだろうか。多くの人は、性の世界だけに陶酔し解消する世界に疑問を持つか、あるいは単にきつすぎる性描写に辟易とするか、逆にそういう世界もあっていいと半ば同情的に捕らえるか、猟奇的犯行に好奇心の眼で見いるかのいずれかであって、せいぜい《戦争という異常な環境》が人をそのような行動に追い込んだと捉えるのが普通の感覚だろう。
監督は、右翼の行動に影響を与えるほど、この映画の注目度も自分らの力も大きくないから心配していないと謙遜していた。
そうかもしれないが、そのような危惧を敢えてする東アジアの人々の方が、こうした問題にはかなり敏感なのではとつくづく思った。
原作の坂口安吾『戦争と一人の女』は、小平義雄という犯罪者の犯行をモデルにしたものという。
映画の中で、村上淳の演じる片腕を失った中国帰還兵の犯す犯行の手口は、『侵略戦争と性暴力-軍隊は民衆を守らない』(津田道夫著、2002年社会評論社刊)の記述を思い起こす。
今、「従軍慰安婦」をめぐり、当時の軍や政治が関与したかどうかの問題で、その発言で一時紛糾したが、安倍首相は問題点を濁したままだ。(むしろ「南京大虐殺」の存在自体を否定し、責任回避している。)
この本は、まさにこの『南京大虐殺』の際に引き起こされた皇軍兵士の恥じずべき行為が、様々な証言・記録からの引用で赤裸々に叙述されている。
もう一つ、つい思い出してしまったのは、中国の映画で2002年に公開された『鬼が来た』である。日本兵が中国でどう思われていたかを知る映画だった。
坂口安吾もこの映画の制作者も、ここまでの政治的意図をもって作品を作ったとは思わない。
井上監督以下、映画製作に携わったスタッフ面々は、大半が先日なくなった若松孝二監督の下で働いた顔なじみという。若松浩二はポルノ映画を多数作った一方、『権力のために映画は作らない。』と言い切った監督だから、それなりの反骨精神はある。
だから、その弟子を辞任している井上監督は、映画の最後の方で、猟奇的犯罪者である大平に次のように言わしめる。
「・・全部、軍隊で教わったんですよ。大元帥の陛下のご命令で、殺人、強盗、強姦したんですよ・・・」
「・・・東条大将がA級戦犯で、どうして天皇陛下は戦犯じゃないんですか?」
この辺が、ハリウッド製のアメリカ映画『終戦のエンペラー』との決定的違いである。最初から天皇の戦争責任など問題にしようとせず、《戦後の日本に天皇制を存続させるか》にいかに腐心したかを描いている。
若松浩二門下の制作者の作品は、様々なところで、自ずとその影響が強く出ているということも納得。
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どうかとも思ったが、公式カタログを購入し、妻に列に並んでもらい、永瀬正敏さん以下、3人のサインをもらう。
『戦争と一人の女』-オフィシャル・サイト