
【ポンペイ遺跡とベスビオ火山】
【2010年2月16日(火)】 旅行第4日目
昨日は、アルベロベッロの観光のあとホテルに戻り、ホテルで夕食をとり、ほどなく心地よい眠りに就く。
ホテルは田舎のゆったりした保養施設といった感じで、こじんまりと落ち着いたいい感じのところだった。
昨日までの天候とは裏腹に、今日は雲がどんよりたちこんでやや雨模様。7:30にホテル前を出発。

【車窓の田園風景】
来た道と違うのか、車窓の景色はなだらかな丘陵地が広がる田園風景だ。高速道路を順調に飛ばす。こうして見ると、日本の国土がいかに山が海まで迫り、平地が少ないかを実感する。そういえば、イタリアやヨーロッパで日本の川のような急流を見たことがない。どの川もゆったりと蕩々と流れている。
何時間くらい走ったろうか。車はサレルノに近づき山間を向けると、目の前に再びあのベスビオ山の姿が目に入ってきた。ここから見るベスビオ山は、大噴火により山の3分の2が吹き飛んだという、
会津・磐梯山の壮絶な姿を思い浮かべる。

【再びベスビオ山の勇姿】
ほどなく、ポンペイの駐車場に到着し、まずは昼食。
メニューは「スパゲティー・コン・ボンゴレ」。ボーイが狭い席を回って取り分けていく。最後の順番で、お腹がすいていたこともあり、写真を撮る間もなく、気がついた時はすでに大方食べ尽くしていた。

【↑ほとんど食べてしまったスパゲティー・ボンゴレとデザートのミカン↓】

お腹を満たした後、雨の中を遺跡の入場ゲートに向かう。雨の中の「ポンペイ遺跡」観光である。
西暦79年のベスビオ火山の大爆発により、火山礫と灰で1つの古代都市がすっぽり埋もれてしまい、地表から姿を消してしまったものが、1860年にはじめて本格的な発掘作業が始まり、人々の前に古代都市国家の姿と当時の人々の生活の様子を、1800年振りにあらわにしたというから驚きである。

【ポンペイ遺跡の入口ゲート】
わくわくしながら、入場ゲートをくぐる。
ゲートから進むとほどなく「海洋の門」があり、ここを登っていき門をくぐると古代都市ポンペイの城内に入る。

【ポンペイ遺跡-マリーナ(海洋の)門】
中に入ると視界が大きく開ける。すぐに、「アポロ神殿」があり横には広場が広がっている。その向こうに、ベスビオ火山が見える。あの火山の噴火で、3日目には街全体が埋もれてしまったと思うと自然の力の大きさを感じる。
遺跡の敷地は縦横1キロメートル以上に及びとても2~3時間で話まれル広さではない。見たのはそのほんの一部だ。

【ポンペイ遺跡-アポロン神殿】
「アポロン神殿」の次に「ジュピター神殿」を通り、公衆浴場に向かい、建物の中に入る。建物の中はフレスコ画やら彫刻があり、郊外にある現代の温泉施設のようだ。
太古の歴史には疎い方だから、あまりピンとこないのだが、西暦70年とかいうのは、奈良や飛鳥時代よりずっと昔であることは確かだ。ちょっと気になったので、調べてみたら日本でいうと「卑弥呼」の時代よりさらに前の「弥生時代」中期のころにあたる。

【ポンペイ遺跡とベスビオ山】
その時代に、公衆浴場があってスポーツ観戦施設があって、「娼婦の館」まであるのだ。また、パン屋があり居酒屋があり立派な装飾付きのカウンターまで残っている。

【かまどの遺跡-「居酒屋」のカウンターだったとか】
街の中には、大通りが何本の走り、道は測道付きで荷馬車が通ったと思われる轍までがちゃんと残っている。

【ポンペイの遺跡を行く一行】
敷石に刻まれた図柄で変わったのがあった。「男性性器」を象ったもので、その指し示す方向に「娼館」があるという一種の道しるべだとガイドが教えてくれた。確かに、その直前に見学した館の方向を示していた。
あまりの広さに、全部を見ることはできなかった。特に東側の部分は訪問できず、「円形競技場」があったことは後からガイドブックで知り、惜しいことをしたと思ったが、あとの祭り。
「カメオ」の製作現場を見学した後、バスでその日の宿泊地・ソレントに向かう。
ソレントのホテルは、それまでのどのホテルよりも『リッチ』に見えた。広いエントランスに吹き抜けのロビー。ポンペイの遺跡巡りで疲れた体を横たえるのに気持ちの良いソファー。
部屋割りが決まり、夕食のため街に出る間の短い時間、ひと休みする。窓を開け、外を見ればソレントの街と遠くにナポリ湾。更にその向こうに、ナポリの街の灯が、かすかに海の上に光っている。

【ソレントのホテルからの眺め-遠くにナポリ湾】
【2010年2月16日(火)】 旅行第4日目
昨日は、アルベロベッロの観光のあとホテルに戻り、ホテルで夕食をとり、ほどなく心地よい眠りに就く。
ホテルは田舎のゆったりした保養施設といった感じで、こじんまりと落ち着いたいい感じのところだった。
昨日までの天候とは裏腹に、今日は雲がどんよりたちこんでやや雨模様。7:30にホテル前を出発。

【車窓の田園風景】
来た道と違うのか、車窓の景色はなだらかな丘陵地が広がる田園風景だ。高速道路を順調に飛ばす。こうして見ると、日本の国土がいかに山が海まで迫り、平地が少ないかを実感する。そういえば、イタリアやヨーロッパで日本の川のような急流を見たことがない。どの川もゆったりと蕩々と流れている。
何時間くらい走ったろうか。車はサレルノに近づき山間を向けると、目の前に再びあのベスビオ山の姿が目に入ってきた。ここから見るベスビオ山は、大噴火により山の3分の2が吹き飛んだという、
会津・磐梯山の壮絶な姿を思い浮かべる。

【再びベスビオ山の勇姿】
ほどなく、ポンペイの駐車場に到着し、まずは昼食。
メニューは「スパゲティー・コン・ボンゴレ」。ボーイが狭い席を回って取り分けていく。最後の順番で、お腹がすいていたこともあり、写真を撮る間もなく、気がついた時はすでに大方食べ尽くしていた。

【↑ほとんど食べてしまったスパゲティー・ボンゴレとデザートのミカン↓】

お腹を満たした後、雨の中を遺跡の入場ゲートに向かう。雨の中の「ポンペイ遺跡」観光である。
西暦79年のベスビオ火山の大爆発により、火山礫と灰で1つの古代都市がすっぽり埋もれてしまい、地表から姿を消してしまったものが、1860年にはじめて本格的な発掘作業が始まり、人々の前に古代都市国家の姿と当時の人々の生活の様子を、1800年振りにあらわにしたというから驚きである。

【ポンペイ遺跡の入口ゲート】
わくわくしながら、入場ゲートをくぐる。
ゲートから進むとほどなく「海洋の門」があり、ここを登っていき門をくぐると古代都市ポンペイの城内に入る。

【ポンペイ遺跡-マリーナ(海洋の)門】
中に入ると視界が大きく開ける。すぐに、「アポロ神殿」があり横には広場が広がっている。その向こうに、ベスビオ火山が見える。あの火山の噴火で、3日目には街全体が埋もれてしまったと思うと自然の力の大きさを感じる。
遺跡の敷地は縦横1キロメートル以上に及びとても2~3時間で話まれル広さではない。見たのはそのほんの一部だ。

【ポンペイ遺跡-アポロン神殿】
「アポロン神殿」の次に「ジュピター神殿」を通り、公衆浴場に向かい、建物の中に入る。建物の中はフレスコ画やら彫刻があり、郊外にある現代の温泉施設のようだ。
太古の歴史には疎い方だから、あまりピンとこないのだが、西暦70年とかいうのは、奈良や飛鳥時代よりずっと昔であることは確かだ。ちょっと気になったので、調べてみたら日本でいうと「卑弥呼」の時代よりさらに前の「弥生時代」中期のころにあたる。

【ポンペイ遺跡とベスビオ山】
その時代に、公衆浴場があってスポーツ観戦施設があって、「娼婦の館」まであるのだ。また、パン屋があり居酒屋があり立派な装飾付きのカウンターまで残っている。

【かまどの遺跡-「居酒屋」のカウンターだったとか】
街の中には、大通りが何本の走り、道は測道付きで荷馬車が通ったと思われる轍までがちゃんと残っている。

【ポンペイの遺跡を行く一行】
敷石に刻まれた図柄で変わったのがあった。「男性性器」を象ったもので、その指し示す方向に「娼館」があるという一種の道しるべだとガイドが教えてくれた。確かに、その直前に見学した館の方向を示していた。
あまりの広さに、全部を見ることはできなかった。特に東側の部分は訪問できず、「円形競技場」があったことは後からガイドブックで知り、惜しいことをしたと思ったが、あとの祭り。
「カメオ」の製作現場を見学した後、バスでその日の宿泊地・ソレントに向かう。
ソレントのホテルは、それまでのどのホテルよりも『リッチ』に見えた。広いエントランスに吹き抜けのロビー。ポンペイの遺跡巡りで疲れた体を横たえるのに気持ちの良いソファー。
部屋割りが決まり、夕食のため街に出る間の短い時間、ひと休みする。窓を開け、外を見ればソレントの街と遠くにナポリ湾。更にその向こうに、ナポリの街の灯が、かすかに海の上に光っている。

【ソレントのホテルからの眺め-遠くにナポリ湾】