【 2016年4月27日 】 5月3日 記
この本を読むきっかけとなったのは「京都高齢者大学」の公開講座で、同志社大学の岡野八代さんの話を聞いたことだった。その前に、この本を本屋の店頭で見かけた時は《憲法についての同じような話だ》くらいに思って敬遠していたのだが、読んでみると、なんのなんの興味深い話がいっぱい。世間では《改憲派》やら《護憲派》と勝手に色分けするけど、まじめに憲法のことを考えている人の気持ちは共有できるなと思った。
ともかく話題が豊富なのである。
護憲派と言われる樋口先生はさておき、小林節さんを《誤解》していた。小林節さんの言動に注目するようになったきっかけは、2014年7月1日の【あの暴挙】をうけて開かれた京都弁護士会主催の『憲法と人権を考える集い』に異色と思われた小林節さんがパネリストで出場したものに珍しさに引かれ好奇心で参加したことと、【解釈改憲の閣議決定】について言及した本『たかが一内閣の閣議決定ごときで』を読んで以来である。《一改憲論者》の頭の中でいったいどんなことが起こったのだろうとういう印象だった。
ところがどっこいである! この小林節という人、生半可な護憲論者(失礼!)より、安倍政権に対しては最も批判的であり【より戦闘的】であり、しかも話が分かりやすく要を得て説得力があり、また最近の行動力の精力的なことには感服する。そのエネルギーには驚かされる。
一方、樋口陽一はさすがである。学説を裏打ちする知識の豊富さ、知見の広さに改めて驚かされる。巷では、【重鎮】やら【泰斗】とならんで【鬼才】、【巨星】とかあるいは【不出の】とかの形容を軽々しく使う風潮があるが、『重鎮』、『泰斗』はまさにこの二人のためにあると、この本を読んで感じた。
○ ○ ○
今日は折しも『憲法記念日』である。毎日新聞に「9条改正反対が52%」の記事があった。また、中面に「緊急事態条項不要論」の記事と木村草太と井上達夫両氏の対談の記事もあった。井上氏の『9条削除論』や『護憲派の「平和」は欺瞞』の発言は極論としても、それぞれ一理ある論議ではあった。しかし、憲法をはじめ各用語の予備知識がないと、この対談だけを読んで理解することは難しいと思われる。
「個別自衛権」と「集団的自衛権」、「集団的自衛権」と「集団的安全保障」の関係。
「憲法」とはそもそも何のか。「立憲主義」とはどういうことなのか。
「交戦権」、「軍隊」、「戦力」とは何か。
そんな、なんとなく分かっているようないないような概念が、この本にわかりやすく紐解かれている。それも、教科書的にではなく過去の歴史や様々な事例を交えて興味深く、しかも新鮮な内容を盛りこんで。
上に挙げた本に関する《以前の自分のブログ》を読み返して、ハッとしたことがあった。
本の中で、小林節の対談相手である山中市長が、
(山中さんは慶応大学在学中、恩師である小林教授の全講義を聴く一方、護憲派の樋口陽一教授の講義を
聴くため上智大にまで出向き(潜り込み)全授業に出席したという話が紹介された後)
「・・小林先生からは憲法の本質論を勉強させていただき、樋口先生からは、憲法の歴史的背景
についておしえていただきました。・・」
と、語っているのである。その本を読んだときは、具体的に樋口教授がどんな講義をしていたかなどあまり興味がなかった。その樋口陽一と小林節が今回の本で対談しているのである。山中市長が、当時聞いたであろう【憲法の歴史的背景】がこの本で垣間見ることができた。こんな面白い内容豊かな講義だったら、自分も潜り込んで二人の「全講義を聞きに行く」衝動にかられたかもしれないと思ったものだ。
○ ○ ○
午後からは、円山音楽堂でひらかれる「憲法集会」に行ってこよう。
『たかが一内閣の閣議決定ごときで-亡国の解釈改憲と集団的自衛権』-のマイブログへ
『憲法と人権を考えるの集いー憲法の大原則「立憲主義」を考える』-のマイブログへ