【2011年5月22日】 京都シネマ
今年1番の感動作だ。
レイラは無期懲役の身で、嘆願もしなかった釈放が得られようとしていた。おまけに仕事まで用意されて、レイラはとまどう。仕事の内容というのは、盲目の牧師のヤコブ宛にくる手紙を読んで、その返信を書くというものだった。
長くは居ないつもりで、とりあえず牧師の元にむかう。
早速、仕事にかかる。すでに貯まっていた分をあわせ、ヤコブへ救いを求める手紙が毎日届けられ、返事も書かねばならない。ある日多くの手紙が届いたのでそのうちの何通かを井戸に捨ててしまう。
郵便配達人は凶悪犯の無期囚がヤコブの家に住み込んで居ることに不安を抱く。ある日牧師の安否を気遣って家に侵入したところ屈強なレイラに取り押さえられてしまう。それ以降、どういう訳か配達人はレイラの姿を見ると、ヤコブの家を避けるように横道にそれていってしまう。
ある日、レイラは配達人を追いかけ「なぜ、配達をしないのか。」と問い詰めると、配達すべき郵便物がないというのだ。
ヤコブは、自分を頼りに救いを求める人に、聖書の一節を抜き出し、返信を返すことを自分の使命と感じ、それを生き甲斐としている。自分が居ないと救われない人がたくさんいると思っている。
ある日取り仕切るべき結婚式の会場に行ってみたものの、誰も来ておらず、自分は思い違いをしているのではと悩む。
自分が、人を救ってやっていると思っていた行為は、実は自分自身の存在意義を見つけるため行為、自分自身を救うための行いではないかと思い始める。
新たな手紙が届けられないで落胆しているある日、一通の郵便が届く。それは牧師に救いを求める手紙ではなく、何かの宣伝のためのダイレクト・メールのようなものだった。レイラはそれをあたかも救済を求める手紙のように装い、ありもしない文面を作り、読み上げる。たいして深刻でない相談内容に気を落とし、たちかける牧師に「もう一つあります。」と押しとどめる。
それは、レイラ自身の過去に犯した罪の告白であり、救いを求める声だった。
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登場人物が、冒頭に出てくる刑務官のほかレイラとヤコブ牧師と郵便配達人の三人しかいない、一時間半ほどのこじんまりした映画だが、内容の濃い心に迫る映画だった。
「ヤコブへの手紙」-公式サイト