【 2016年7月11日 】
7月10日投開票の参議院選挙で自民・公明・大阪維新の3党で改憲発議に必要な議員数の3分の2を超えてしまった。
さらにショックなのは、大阪も兵庫もすべての議席が《改憲派》で占められたことだ。いち早く市民連合の統一候補ができた熊本も敗れた。滋賀もダメだった。
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落胆ばかりはしていられない。【勝ち越し】はしなかったが、市民連合と野党共闘はがんばった。TPPで東北が変わった。何といっても沖縄だ!ここでずるずる引き下がっては元も子もない。
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10日の「毎日」の朝刊に白井聡さんの記事が載っていた。(以下にその記事を転載する)
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短い文章だが、的を得ていると思う。安倍首相は確かに「国民の皆さんとじっくり考える」とか言って、急には動かないだろう。しかし、シナリオは上の記事に書いてあるようなことを描いていると思う。
確かに『改憲派』と一口に言っても内容は様々なのは分かっている。
自民党が単独過半数を占めそうなのを気にして、公明が「改憲」でなく「加憲」だと言い訳がましく言っている。自民党との《違い》を強調しようと思っても魂胆は見えている。なんだかんだ言っても、「特定秘密保護法」も「集団的自衛権」も「原発再稼働」も「辺野古問題」も「消費税」も何もかも自民党と一緒になってやってきたではないか。今ごろ、いい子ぶっても駄目である。
大阪維新も同じようなものである。憲法にあえて掲げるまでもない《差しさわりのいない問題》を挙げ、「改憲」の必要性を説き、結局は国民を戦争に動員する方向にもっていこうとしている。
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投票日の4日前の6日にひらかれた「市民連合@京都」の集会に行ってきた。その時《余談》として話されたことが、現実味を帯びてきた。
安倍首相がインタビューなどで盛んに強調している『改憲問題は最終的には最も民主的な「国民投票」によって決着をつける』ということの危険性に関して『EU離脱問題でイギリスで行われた国民投票』の評価と合わせて、京大のコゼキさんが話された内容のことだ。
そもそも『「民主主義」というのは様々な問題のいろいろな見解の「妥協点を見出す」という所に本質がある』のに対し、『「国民投票」は、1点の問題に関し「白か黒か」の決着をつけるという、国民を真っ二つに分断しかねない危険性をはらんでいる』という。
『改憲を支持する人が多数派じゃないから「国民投票」をやっても大丈夫という考えはどう見ても甘い。』と指摘する。
ただでさえ《嘘と詭弁」がまかり通り「ヘイトスピーチ」が横行する中、『マスコミを総動員して《偏狭なナショナリズム》を刺激するような一大キャンペーンを撃たれればひとたまりまない。』と、コゼキさんは危惧する。
今回の選挙結果を見れば、あながち非現実的とは言えないばかりか可能性の方が大きい。
白井聡さんの記事中の「日本の選挙は最小限の公正性や自由が保障されてきたが、今回の選挙が「最後の選挙」になるのではないか。」という不吉な予感めいた発言が、現実のものとならないようにするためにはどうすればよいか、悩ましい月曜日である。