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【2012年10月27日】
半年程前、『ザビーナ・シューピールラインの悲劇』という本を読んだ。本の副題に【フロイトとユング、スターリンとヒトラーのはざまで】という衝撃的な名前が並んでいたので読んだのだが、《このような数奇な運命をたどった人もいたのか》と興奮したものだった。
近く映画も出来るというので期待していたところ、今回公開されたので早速、観に行く。
映画を見ると、今春に読んだその本を映画化したものではないと感じた。期待していたものとは違っていた。
『ザビーナ・シューピールラインの悲劇』が出版されるかなり以前に、アルド・カルテヌートというイタリアの心理学者が書いた『秘密のシンメトリー』という本があったらしい。
この本が世間に衝撃を与えたのは、『精神分析学』の黎明期にフロイトとユングというふたりの著名な精神分析家が自らの学説を確立する上で、それまで存在すら知られていなかった一女性の資料(日記やフロイト、ユング宛の手紙等)が1970年代にスイスで発見されたものを、ユング学派のカルテヌートが、『ユングの学説に大きな影響を与えた女性がいた』ということを発表したことによる。それが、精神分析学上の理論ー学会等の公的な立場の《ライバル》、《理解者》だけでなく、自己の最初の《患者》であり、私的な《愛人》であったという事実が明らかにされたことにある。さらにフロイトの学説にも影響を与えたといわれたら、当時精神分析学会に与えた衝撃は大きかったに違いない。
しかし、発表した著者がユング学派であったから、中身は心情的にユングに肩を持つ内容になっていたようで、ザビーナ・シューピールラインは、学説上の影響・貢献より、《愛人》という面が前面に出てしまったようだ。
それに対し、『ザビーナ・ ~悲劇』の方は、《中立的》に、発見された資料をもとに淡々と描かれている。前書で明らかにされなかった、ユングの《背信的》ともいえる行為も冷徹に描かれている。(これを読んだら《男をやめようか》とも思う。)
ザビーナは、ユダヤ人が多く住むロシアのロウトフの町で裕福なユダヤ人商人の長女として生まれるが、強度のヒステリー疾患で、スイスの「ベルツヘルク精神病院」に入院する。そこに、駆け出しの精神分析医のユングがいて、彼の最初の《患者》になる。治療者ー患者という関係の中で、互いに惹かれ《恋仲》になるのだが、ユングにはすでに妻と子どもがいた。
そうした過程を、ザビーナは日記に残していたわけだが、その後のユングの学説の形成やフロイトとの交流やについても書簡等を通じて記されているのだが、明らかになるのはユングの不誠実さだけだある。
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フロイトとユングは登場しているが、当時の時代背景もスターリンもヒトラーも出て来ない。別に、歴史上の有名人が直接スクリーンに出て来る必要は無いのだが、この間には『ロシア革命』やら『ナチスの政権獲得』等の歴史上の大事件が起こっているのだが、そうした世界の大きな動きというか、当時の緊迫した状況がまるで伝わって来ない。精神学会の動きや当時の精神医学における『精神分析学』の位置づけもまるでわからない。
ブロイラー院長も母親のエバも登場してこないし、ザビーナの兄弟達も子どもも出てこない。気弱で敬虔なユダヤ教徒の夫の話もない。
映画の最後の字幕に、その後の経緯が簡単に出ただけで終わってしまった。
2時間の映画に収めようと思ったら、どこかを省略しないといけないのはわかるが、これでは全くの腑抜けである。
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配役でフロイトにヴィゴ・モーテンセンはびっくりしたが、ザビーナ役のキーラ・ナイトレイはミスキャストだ。
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黎明期の精神分析学会の中で、フロイト、ユングに影響を与え、ユダヤ人であるが故に歴史に翻弄され、ナチスとスターリン主義に兄弟と共に自分も命を奪われた女性の一生涯を描くには、あまりにも視点が狭すぎるように感じた。
がっかりである。
『秘密のシンメトリー』-ユングとザビーナの関係を解説した記事
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『ザビーナ・シュピールラインの悲劇』(書籍)-マイブログ記事にジャンプ
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