【 2017年8月24日 集英社刊
長谷部恭男/石田勇治 】
「緊急事態条項」の危険性についてはモノの本により何度も聞かされているから、改めてここでは展開しない。この本で興味を待ったのは、元副総理のかの有名な問題発言、『ドイツのワイマール憲法はいつの間にか変わっていた。誰も気がつかない間に変わった。あの手口を学んだらどうか』発言と、本書後半の「第5章」に展開されている、『「過去の克服」がドイツ憲法を強くした』に関連して語られている【戦後日本のそれとドイツとの違い】である。
一応、本の目次を示しておくと下記のようになっている。
それにしても【ドイツの国民はどうしてナチスの独裁を許し、ホロコーストをまで展開させたのか】-その疑問はずっと引きずっているが、この本で少しは解けたような気がする。しかし、それでも【これ】は永遠に問い続けなければならない問題のようにも思える。
もうひとつの関心事は【ドイツと日本の戦後処理がどうして違ったのか】、そして今回初めて分かったのは、【ドイツがいつから過去の過ちに目を向けることになったのか】ということだった。それは意外にもそんな昔のこと(例えば、終戦直後とか)ではなく、つい最近-と言っても、1960年代の前半であるが-のことだったのだ。
1961年に「アイヒマン裁判」があり、フリッツ・バウアー等の努力があって1963年から「アウシュビッツ裁判」が始まる。
自分の今の問題意識からすれば、憲法学者・長谷部恭男さんと、ドイツ戦後史-その中でもナチスの専門家である-石田勇治さんのふたりが、対談という形で上のことを分かりやすく解説してくれたので、興味を持って一気に読んでしまった。
映画『顔のないヒトラーたち』や『アイヒマンを追え』で描かれたドイツはこの頃の時代だ。
戦後もだいぶ経ち、日本でも1964年の東京オリンピックが開かれ時期、自分らもようやく世の中の仕組みが分かりかけた頃に、ナチスは既に【とんでもないことをした集団】で通っていた。この映画を見たら、当のドイツでは1950年代まで圧倒的多数のドイツ人が「アウシュビッツの事を知らなかった」というのだ。
映画でも描かれているように、1960代に若い世代からドイツは変わっていった。
日本の戦後史も授業では省略されることが多いが、ドイツの近代史、戦後史など学ぶ機会などはとんどありはしない。映画とこの本で、今まで知らなかったことを多少なりとも知ることができ新鮮だった。
『黄金のアデーレ』でも、ナチスに没収されたクリムトの絵を元の所有者に返還を求める裁判が描かれているが、その裁判に勝利したのもこんなドイツの社会情勢の変化が影響を与えたのかもしれない。
○ ○ ○
で、日本はどうなる。
東京都知事は、それまでずっと続けてきた「朝鮮人犠牲者への追悼文」の発表を取りやめるし、安倍首相はとんでもない方向を向いたままだし・・・。
この本の発売される前、またもや麻生副首相はとんでもない暴言を吐いた。
「・・いくら動機が正しくても何百万人殺しちゃったヒトラーは、やっぱりいくら動機が正しくてもダメなんですよ、それじゃあ・・」
と、ヒトラーの動機は正しいといっている! 過去の歴史のどこを見たらこんな発言ができるのだろう!
どうすれば、この日本を変えることができるのか。
『アイヒマンを追え』-のマイブログへ
『アイヒマンショー-歴史を映した男たち』-のマイブログへ
『顔のないヒトラーたち』-のマイブログへ
『黄金のアデーレ-名画の帰還』-マイブログへ
『「黄金のアデーレ」帰還』のブログ記事(よその人)
長谷部恭男/石田勇治 】
「緊急事態条項」の危険性についてはモノの本により何度も聞かされているから、改めてここでは展開しない。この本で興味を待ったのは、元副総理のかの有名な問題発言、『ドイツのワイマール憲法はいつの間にか変わっていた。誰も気がつかない間に変わった。あの手口を学んだらどうか』発言と、本書後半の「第5章」に展開されている、『「過去の克服」がドイツ憲法を強くした』に関連して語られている【戦後日本のそれとドイツとの違い】である。
一応、本の目次を示しておくと下記のようになっている。
それにしても【ドイツの国民はどうしてナチスの独裁を許し、ホロコーストをまで展開させたのか】-その疑問はずっと引きずっているが、この本で少しは解けたような気がする。しかし、それでも【これ】は永遠に問い続けなければならない問題のようにも思える。
もうひとつの関心事は【ドイツと日本の戦後処理がどうして違ったのか】、そして今回初めて分かったのは、【ドイツがいつから過去の過ちに目を向けることになったのか】ということだった。それは意外にもそんな昔のこと(例えば、終戦直後とか)ではなく、つい最近-と言っても、1960年代の前半であるが-のことだったのだ。
1961年に「アイヒマン裁判」があり、フリッツ・バウアー等の努力があって1963年から「アウシュビッツ裁判」が始まる。
自分の今の問題意識からすれば、憲法学者・長谷部恭男さんと、ドイツ戦後史-その中でもナチスの専門家である-石田勇治さんのふたりが、対談という形で上のことを分かりやすく解説してくれたので、興味を持って一気に読んでしまった。
映画『顔のないヒトラーたち』や『アイヒマンを追え』で描かれたドイツはこの頃の時代だ。
戦後もだいぶ経ち、日本でも1964年の東京オリンピックが開かれ時期、自分らもようやく世の中の仕組みが分かりかけた頃に、ナチスは既に【とんでもないことをした集団】で通っていた。この映画を見たら、当のドイツでは1950年代まで圧倒的多数のドイツ人が「アウシュビッツの事を知らなかった」というのだ。
映画でも描かれているように、1960代に若い世代からドイツは変わっていった。
日本の戦後史も授業では省略されることが多いが、ドイツの近代史、戦後史など学ぶ機会などはとんどありはしない。映画とこの本で、今まで知らなかったことを多少なりとも知ることができ新鮮だった。
『黄金のアデーレ』でも、ナチスに没収されたクリムトの絵を元の所有者に返還を求める裁判が描かれているが、その裁判に勝利したのもこんなドイツの社会情勢の変化が影響を与えたのかもしれない。
○ ○ ○
で、日本はどうなる。
東京都知事は、それまでずっと続けてきた「朝鮮人犠牲者への追悼文」の発表を取りやめるし、安倍首相はとんでもない方向を向いたままだし・・・。
この本の発売される前、またもや麻生副首相はとんでもない暴言を吐いた。
「・・いくら動機が正しくても何百万人殺しちゃったヒトラーは、やっぱりいくら動機が正しくてもダメなんですよ、それじゃあ・・」
と、ヒトラーの動機は正しいといっている! 過去の歴史のどこを見たらこんな発言ができるのだろう!
どうすれば、この日本を変えることができるのか。
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