月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也
月日というのは、永遠に旅を続ける旅人のようなものであり、
来ては去り、去っては来る年もまた同じように旅人である。
これは松尾芭蕉の奥の細道の序文です。
たまたま目にした新潮社の「心に残るとっておきの話」第4集の冒頭に書いてあり
懐かしく思いながらもちょっと気になったので調べてみました。
詳しくはこちらをどうぞ 俳聖 松尾芭蕉・生涯データベース
小学生の頃だったと思いますがこの冒頭の言葉を
一字一句間違えないように暗記させられ
意味も分からず芭蕉と云えば「月日は・・・」
条件反射の様に覚えたような気がします。
しかし、今年55才の身になると少し意味合いが違ってきます。
ときと云うもの、月日と云うもの
人生の無常と云うもの
なんだか込み上げて来るものが有ります。
自分自身が意味も解らないまま丸暗記した中にも
今の時代を生きる元が有ったように感じ
記憶に残しておきたく文面にしてみた次第です。
月日というのは、永遠に旅を続ける旅人のようなものであり、
来ては去り、去っては来る年もまた同じように旅人である。
これは松尾芭蕉の奥の細道の序文です。
たまたま目にした新潮社の「心に残るとっておきの話」第4集の冒頭に書いてあり
懐かしく思いながらもちょっと気になったので調べてみました。
詳しくはこちらをどうぞ 俳聖 松尾芭蕉・生涯データベース
小学生の頃だったと思いますがこの冒頭の言葉を
一字一句間違えないように暗記させられ
意味も分からず芭蕉と云えば「月日は・・・」
条件反射の様に覚えたような気がします。
しかし、今年55才の身になると少し意味合いが違ってきます。
ときと云うもの、月日と云うもの
人生の無常と云うもの
なんだか込み上げて来るものが有ります。
自分自身が意味も解らないまま丸暗記した中にも
今の時代を生きる元が有ったように感じ
記憶に残しておきたく文面にしてみた次第です。