本日は、W兄の洗礼式を迎えることができましたことを感謝します。
本日の福音書(ヨハネによる福音書 15:9-17)は、
結婚式・聖婚式で読まれることの多い箇所で、
私たちに「互いに愛し合いなさい」というイエス様の教えが記されています。
ここで、イエス様がおっしゃっている「愛」とは、
アガペーであって、男女の「愛」エロースと異なりますが、
たとえ、男女の間の「愛」であっても、
ただ楽しい、心地よいだけの甘いものではないことは、当然のことと思います。
たとえば、インドのネール首相が「愛は平和ではない、戦いである」と
娘への手紙に書いているように、
「愛」するということは、生やさしいものではありません。
まして、神が人を愛するように、人間の間で愛すること、
関係の「愛」であるアガペーをお互いに生きることは、
なおのこと難しいと思います。
翻って、洗礼を神様との関係に入るためのものとみるならば、
私たちは、まさにこの厳しい「愛」を「互いのうちに生きなさい」
と言われているような気がいたします。
そして、今日、W兄とそれをお迎え入れる私たちすべてが、
主から「互いに愛し合う」ことを求められておられることをおぼえたいと思います。
執事 マタイ金山昭夫 《2006.5.21週報より》
本日の福音書(ヨハネによる福音書 15:9-17)は、
結婚式・聖婚式で読まれることの多い箇所で、
私たちに「互いに愛し合いなさい」というイエス様の教えが記されています。
ここで、イエス様がおっしゃっている「愛」とは、
アガペーであって、男女の「愛」エロースと異なりますが、
たとえ、男女の間の「愛」であっても、
ただ楽しい、心地よいだけの甘いものではないことは、当然のことと思います。
たとえば、インドのネール首相が「愛は平和ではない、戦いである」と
娘への手紙に書いているように、
「愛」するということは、生やさしいものではありません。
まして、神が人を愛するように、人間の間で愛すること、
関係の「愛」であるアガペーをお互いに生きることは、
なおのこと難しいと思います。
翻って、洗礼を神様との関係に入るためのものとみるならば、
私たちは、まさにこの厳しい「愛」を「互いのうちに生きなさい」
と言われているような気がいたします。
そして、今日、W兄とそれをお迎え入れる私たちすべてが、
主から「互いに愛し合う」ことを求められておられることをおぼえたいと思います。
執事 マタイ金山昭夫 《2006.5.21週報より》