ルクノス ~ともし火~

日本聖公会 北関東教区 宇都宮聖ヨハネ教会のブログです。

三位一体主日・聖霊降臨後第1主日

2006年06月13日 | ショートメッセージ
今日は、三位一体主日ですが、この三位一体という概念については
昔から多くの人が頭を悩ませてきました。
父なる神、み子なる神、聖霊なる神がおられ、
なおかつ、神は三人おられる訳ではでく、唯一の神である。
一見なぞなぞのように聞えますけれども、私たちキリスト者はこの唯一にして、
三位の神を三位一体において崇め礼拝いたします。

三つで一つ、一つで三つ。
論理的にこれは、私たちの理解を超えています。
これを私たちはどのように理解してゆけばよいのでしょうか。

あるカトリック新婦は公教要理(受洗準備会)の中で、
必ず「三位一体について説明しなさい。」という試験をするそうです。
そして、洗礼志願者が「分かりません。」
と、答えると「正解」とするとのことでした。
人間には分からない神の神秘を私たちの頭で分かり切ろうとすること自体、
誤った態度であるということなのでしょうか。

最近、『本の広場』という無料の雑誌で、マクグラスの翻訳もされている、
本田峰子さんという方(二松学舎大学教授)が
C.S.ルイスの『奇跡』という本との出会いを語っておられました。

本多さんは、
「ここには、キリスト教の超自然的奇跡の教義を信じることの合理性が、
人間の理性の超自然性からの理論的推論と想像力を用いた譬(たと)えとで
簡明かつ印象的に示してありました。」と、書いておられます。

ルイスは、三位一体を立法的に例えて説明しているそうです。
立方体は、二次元では六つの正方形でありながら、
三次元のレベルではひとつの立方体である。
それと同様、三次元では、神は三つの位格《父と子と聖霊》だが、
より高次の神の実在のレベルでは、
三位でありながらなお一体であっても不思議はない。

本多さんは続けます。
「この推論は、三つならば一つではありえないという論理が、
実は平面図形的思考に過ぎないことを示し、人間の思考の限界を実感させ、
神の秘義に対する私の知的抵抗を取り除いたのです。」

これを読みまして、私は、C.S.ルイスを通して、
私たちの限界を見極めた上で、神を「お慕い」する「知解を求める信仰」
(カンタベリーのアンセルムス)を見たような気がいたします。

執事 マタイ金山昭夫 《2006.6.11週報より》