最近ネットで「カランコエの花」という映画が話題になっている。
映画のテーマを大きく括ると「LGBT」。
https://kalanchoe-no-hana.com/
LGBTについては自分は学生の頃、拒否し面白がっていた。
30代位になって、映画・文学作品でこのテーマに触れることが増えた。
橋口亮輔監督の映画や「月の瞳」を視たり、江國香織「きらきらひかる」を読んだり。
少しづつ自分の中でイメージが変わっていった。
或る展覧会でゲイの作家さんと話したら楽しかったりして自分の中の拒否反応は消えた。
唯、それはあくまで創作物を通じての話。身近なテーマとして真剣に考えた事は無い。
LGBTへの偏見・差別は勿論ダメ。
でも今春映画「ナチュラルウーマン」を視て、
トランスジェンダーの主人公に対して周囲が行った仕打ちについて色々考えてしまった。
「平等・差別はダメ・多様性」綺麗ごとは幾らでも言える。
でも実際、自分がその場面に立ち合ったらどうする?
彼/彼女に対しオレが罵倒しないと言い切れるか?
いや表面的な差別はしないかも知れない。でも係わるのを恐れて逃げるんじゃないのか?
今回「カランコエの花」はLGBT当事者だけで無く周囲も含めて描くという事で関心があった。
「新潮45」でLGBTについて色んな意見が飛交ってる中、是非見て視たかった。
仕事を定時で退けて渋谷に向かう。上映会場は渋谷UPLINK。
客席は8割がた埋まっていた。若い男女だけでなく年配の方も結構多い。
○ストーリーのあらすじ(ネタバレなし)
とある地方の高校で、ある日唐突に「LGBT」についての授業が行われた。
他のクラスでは無いこの授業。
不審に思った一部の生徒が「教室内にLGBTが居るのでは?」と詮索を始める。
その事が原因で教室内、仲良かった友人の間に様々な波紋がもたらされる。
出演の俳優さんは不勉強で申し訳無いが一切知らない。
でも、それが良かった。登場人物の行動パターン、ストーリー展開が一切想像できない。
わずか40分の上映なのに、その中に色んな感情が詰まっていて、あふれ出して・・
いや、こぼれ出して、見てるオレも揺れっぱなしだった。
「ナチュラルウーマン」とはまた、別の衝撃・余韻があった。
この映画では、「差別反対!」とか「二項対立」は描かれない。
描かれるのは、あくまで若者の恋。それが・・・素晴らしかった。
衒い無い主人公たちのココロの揺れが真っすぐオレのココロに刺さった。
一方で映画を見てる間、ずっと考えてた。もしオレがあの場に居たらどの立ち位置だ?
面白がるのか?拒否するのか?心配するのか?
若い頃のオレは面白がり拒否した。現在(いま)のオレはそこには居ない・・筈だ。
でも、実際あの場に居たら当たり障りの無いキレイごとだけほざいて、距離を取って
安全な場所に逃げ込む・・・そんな気がする。
画面の中の若者たちからずっと「アンタどうする?」と問われてる様なそんな気がした。
そして・・ラスト。あれで良かったのか?いや、あれで善いんだ。
いや、もっと続きを視たい。色んな感情が湧き出た。
ただ・・ただ、あの2人はこれで終わらない。ここから、またはじまる。
いや、ここから変えられる。そう信じたい。
上映後、中川駿監督のトークがあった。ネタバレになるので内容を詳しくは書けないが。
「ゼロをプラスにしたいとは思わない。でも、せめてマイナスをゼロにしたい」のコトバ
が印象に残った。お客さんの多くがそのコトバに頷いている事に救いを感じた。
オレも、あのコトバを胸に刻んでいこう。何ができるのかワカランが。
この映画を見てもうすぐ1週間。未だにその余韻が消えない。
その余韻が何なんのか?自分でもワカラン。説明できない。
この映画を見て何か答えを見つけたワケじゃない。LGBTについて分かったなんて言えない。
いや、この映画はそういう答えを出す作品じゃないだろう。
観た人が印象を持ち帰って考え続ける・・・育て続ける。そんな映画なんだろう。
また見てみたいな。
もし可能なら、画面の中に飛び込んで彼・彼女たちと話してみたい。
若いあの子たちがむさ苦しいオモシロくもないオッサンと話したがるか自信無いが(^_^;
もし、仲間に入れて貰えたら、あの子たちとただダラダラと話したい。
一緒に笑いたい。創り笑顔で無く・・・ホンキで笑って。
あるいは一緒に泣ければ・・・と思う。ただ、一緒に居て。そこに居て。逃げずに。
・・この映画を見た事で何かをいただいた気がする。
自分の中に残っている余韻・・・それはきっと芽を贈って貰ったんだと思う。
この芽が花として咲くのか、それとも別の何かになるのか・・・或いは枯れるのか。
それはワカンナイ。でも・・・考え続けよう。・・・
ゆっくりとゆっくりとこの芽を育てていこう。
この映画はオレの「トモダチ」だ。(勝手に指定(゚゜)\バキ☆)
ウン、また行こう。あのコたちに逢いに。また逢いたい。
トモダチなんだから。また逢いに行かなくちゃ。な、ヨモちゃん☆
映画のテーマを大きく括ると「LGBT」。
https://kalanchoe-no-hana.com/
LGBTについては自分は学生の頃、拒否し面白がっていた。
30代位になって、映画・文学作品でこのテーマに触れることが増えた。
橋口亮輔監督の映画や「月の瞳」を視たり、江國香織「きらきらひかる」を読んだり。
少しづつ自分の中でイメージが変わっていった。
或る展覧会でゲイの作家さんと話したら楽しかったりして自分の中の拒否反応は消えた。
唯、それはあくまで創作物を通じての話。身近なテーマとして真剣に考えた事は無い。
LGBTへの偏見・差別は勿論ダメ。
でも今春映画「ナチュラルウーマン」を視て、
トランスジェンダーの主人公に対して周囲が行った仕打ちについて色々考えてしまった。
「平等・差別はダメ・多様性」綺麗ごとは幾らでも言える。
でも実際、自分がその場面に立ち合ったらどうする?
彼/彼女に対しオレが罵倒しないと言い切れるか?
いや表面的な差別はしないかも知れない。でも係わるのを恐れて逃げるんじゃないのか?
今回「カランコエの花」はLGBT当事者だけで無く周囲も含めて描くという事で関心があった。
「新潮45」でLGBTについて色んな意見が飛交ってる中、是非見て視たかった。
仕事を定時で退けて渋谷に向かう。上映会場は渋谷UPLINK。
客席は8割がた埋まっていた。若い男女だけでなく年配の方も結構多い。
○ストーリーのあらすじ(ネタバレなし)
とある地方の高校で、ある日唐突に「LGBT」についての授業が行われた。
他のクラスでは無いこの授業。
不審に思った一部の生徒が「教室内にLGBTが居るのでは?」と詮索を始める。
その事が原因で教室内、仲良かった友人の間に様々な波紋がもたらされる。
出演の俳優さんは不勉強で申し訳無いが一切知らない。
でも、それが良かった。登場人物の行動パターン、ストーリー展開が一切想像できない。
わずか40分の上映なのに、その中に色んな感情が詰まっていて、あふれ出して・・
いや、こぼれ出して、見てるオレも揺れっぱなしだった。
「ナチュラルウーマン」とはまた、別の衝撃・余韻があった。
この映画では、「差別反対!」とか「二項対立」は描かれない。
描かれるのは、あくまで若者の恋。それが・・・素晴らしかった。
衒い無い主人公たちのココロの揺れが真っすぐオレのココロに刺さった。
一方で映画を見てる間、ずっと考えてた。もしオレがあの場に居たらどの立ち位置だ?
面白がるのか?拒否するのか?心配するのか?
若い頃のオレは面白がり拒否した。現在(いま)のオレはそこには居ない・・筈だ。
でも、実際あの場に居たら当たり障りの無いキレイごとだけほざいて、距離を取って
安全な場所に逃げ込む・・・そんな気がする。
画面の中の若者たちからずっと「アンタどうする?」と問われてる様なそんな気がした。
そして・・ラスト。あれで良かったのか?いや、あれで善いんだ。
いや、もっと続きを視たい。色んな感情が湧き出た。
ただ・・ただ、あの2人はこれで終わらない。ここから、またはじまる。
いや、ここから変えられる。そう信じたい。
上映後、中川駿監督のトークがあった。ネタバレになるので内容を詳しくは書けないが。
「ゼロをプラスにしたいとは思わない。でも、せめてマイナスをゼロにしたい」のコトバ
が印象に残った。お客さんの多くがそのコトバに頷いている事に救いを感じた。
オレも、あのコトバを胸に刻んでいこう。何ができるのかワカランが。
この映画を見てもうすぐ1週間。未だにその余韻が消えない。
その余韻が何なんのか?自分でもワカラン。説明できない。
この映画を見て何か答えを見つけたワケじゃない。LGBTについて分かったなんて言えない。
いや、この映画はそういう答えを出す作品じゃないだろう。
観た人が印象を持ち帰って考え続ける・・・育て続ける。そんな映画なんだろう。
また見てみたいな。
もし可能なら、画面の中に飛び込んで彼・彼女たちと話してみたい。
若いあの子たちがむさ苦しいオモシロくもないオッサンと話したがるか自信無いが(^_^;
もし、仲間に入れて貰えたら、あの子たちとただダラダラと話したい。
一緒に笑いたい。創り笑顔で無く・・・ホンキで笑って。
あるいは一緒に泣ければ・・・と思う。ただ、一緒に居て。そこに居て。逃げずに。
・・この映画を見た事で何かをいただいた気がする。
自分の中に残っている余韻・・・それはきっと芽を贈って貰ったんだと思う。
この芽が花として咲くのか、それとも別の何かになるのか・・・或いは枯れるのか。
それはワカンナイ。でも・・・考え続けよう。・・・
ゆっくりとゆっくりとこの芽を育てていこう。
この映画はオレの「トモダチ」だ。(勝手に指定(゚゜)\バキ☆)
ウン、また行こう。あのコたちに逢いに。また逢いたい。
トモダチなんだから。また逢いに行かなくちゃ。な、ヨモちゃん☆