僕と猫のブルーズ

好きな音楽、猫話(笑)、他日々感じた徒然を綴ってます。
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30年~「その街のこども」を視て

2025年01月19日 | 日記

1月17日は阪神淡路大震災が起きた日。30年が経った。
ボクは神戸の大学に通い学生時代はよく神戸で遊んだ。
ただ震災発生時は東京に住んでいて被災はしていない。
1度だけ神戸を訪れて。。破壊された街の痕を視て怖くなって逃げた。
以来神戸を訪れたことはない。サッサと忘れた。

30年目のこの日も黙祷はしたが、後は何もしなかった。
神戸を忘れて見捨てた自分がXに祈りを書くのは偽善だ。
まして震災をモチーフにした歌を鳴らしたり映像をUPするのもウソくさい。
ただ、1つ映画「その街のこども」をシネマート新宿に見に行った。
阪神淡路震災をテーマとした映画。震災30年という事で東京で期間限定の再上映。
自分にとって大切な、大好きな映画。色々考えた挙句に行く事にした。

震災15年目の2010年にNHKで制作したドラマ。主演森山未來と佐藤江梨子は自身も震災経験者。
内容が評判を呼び2011年に映画化。ボクはこの映画もドラマ版も何度も何度も視てる。
何度も視てる映画だが映画館で視るのは初めて。いつも自宅で独りで視てるので(笑)。
そして他のお客さんと視るのも初めての経験。新鮮☺
117早朝に行われる追悼イベントを目指し深夜の神戸を歩く若者2人。
歩きながら2人は色々話す。
初対面の2人だけど自分が抱えてた悲しみや痛みを初めて他人に話す。

何度も何度も視た映画。主人公勇治と美夏は最早旧知の友人☺
でも、2人の対話、神戸の夜景に何度も涙した(/_;)
美夏は云う「悲しみはどうしようもない。でも悲しみを減らす工夫をみんなですればいい」
勇治は云う「そのみんなにオレも入ってんの?オレはムリやな。オレはみんなから外しといて」
悲しみ、傷、その向かい方は人それぞれ。このシーンにはグッと来た(/_;)

映画を視てる間、ずっと2人と神戸を一緒に歩いてる感覚だった。
神戸の荒れ様が怖くて逃げた。。サッサと忘れた自分なのに😿
でも、この日映画を視て分かった。オレは神戸から逃げてたんじゃない。
神戸から逃げた自分と向い合う事から逃げてたんだと😿
この映画と出逢って14年目。。やっとそれが分かった。
今日という日に、この映画を視れてよかった😿
ラストシーン。東遊園地での追悼イベントに静かに佇む美夏。
そしてイベントに参加せず独り歩く勇治。
鳴る阿部芙蓉美の歌に。。。涙した(/_;)
見終わった後、映画の余韻を噛みしめて新宿の街を歩いた。
その時、急に荒浜海岸の光景が目の前に現れた。
2011年9月。震災後初めて仙台を訪れた。そして津波で破壊された海岸を視た。
以来、この海岸が脳裏に焼き付いて都度フラッシュバックした。
東京で大きな街を歩く度、あの海岸の光景が蘇った。
以前はしょっちゅう視た幻影。でも東北に行かなくなってから視なくなった。
それが。。久しぶりに視えた。
何か。。。何か嬉しかった(被災した光景を想い出して嬉しいも何だが)(^^)
そうか消えてなかったんだな。チャンと居たんだ。
「その街のこども」を視て。。またあの景色を取戻せた。それが嬉しくて泣いた。

この映画には、、ホント色々貰ってる。
映画の中で勇治がトラウマに混乱して「あー」と声を上げるシーンがある。
あれを視て、精神的にキツいとき、どうしようもなったときボクも同じ様に声を出してる
(独りのときに(^^;)
そうすると自分がキツい痛いことを認めてあげることができる。赦してあげることができる。
以来、素直に泣けるようになった気がする。

そして。。今回思った。
以前はこの映画を視た後「神戸に行きたい」と思った。でも今回それはなかった。
むしろ現在(いま)の自分が神戸に行くのは違うと思った。
自分の後悔や後ろめたさを晴らすために神戸に行く。。それ絶対違げーし。
それは神戸に失礼だ。行くなら笑顔でHappyに行かなくちゃ。

笑顔で行ける日まで、この映画を何度も視て主題歌を何度も聴いて神戸を想おう。
震災があった日だけ想うので無くて。。他の日にも。
想えば。。。忘れない。また想い出せる。
今更オレが神戸に対して出来ることなんかない。
でも、何も出来なくてもそれだけは出来るんだ。出来る。

30年経った。亡くなった方、残された方の悲しみ痛みが癒えることを唯祈る(V_V)
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