5月4日:妹と電話。父の遺体が斎場に移動されたことを言われる。
朝10時に自宅に来るように指示される。
朝食後、自宅に。母、兄、妹夫婦、姪がいる。
どういうワケかお茶とお菓子を食べ出す我等。
母が想ったより元気で安心する。みんな泣かず笑顔さえ浮かぶ。
父の思い出話に花を咲かす。
頑固者で無口で自由に生きたヒト。孫娘には優しかった一面もあった。
父は最期まで「父」らしく生きてたことに思わず笑った。
そのまま一家で斎場に。安置室で荼毘に付された父に対面する。
父は小さくなり目を閉じていた。無邪気に騒ぐ姪に皆笑う。
葬儀屋の担当の方が挨拶に来る。その行き届いた心配りにリラックス。
通夜が5月5日、葬儀は6日。初七日も葬儀とあわせて行う。
親族には父の死を知らせず家族だけで行う旨を決定。
ホテルに戻り会社各位に連絡。7日に会社休む旨を伝える。
その後は京都の街に出歩き晩御飯、夜は疲労で寝てしまう。
5月5日:今日は通夜の日。昼過ぎに斎場に行くことに。とてもイイ天気。
斎場にて「湯かんの儀」を行う。
従姉妹が偶然京都に旅行。父の死を知り駆けつける。その巡り合わせに驚く。
父の遺体を洗いキレイにしていただく。その後に棺に移す。
担当者が若い男女であることに驚く。ここでも行き届いた配慮に感謝。
父の顔や頬を撫でる。
その後は斎場横のSATYで昼食。みんなで蕎麦を食べる。
「鴨なんばん」を美味しそうに食べるボクと母。
・・・でも人のなくなった後、肉とか食べて良かったのだろうか?
夜は通夜。お坊さんの読経、心のこもったお話に感動。
遺影は父の若い頃の写真。父の遺影にいろいろと語りかける。涙は出ない。
その後は食事会。
家族で父の想い出にひたる。みんな笑顔、涙はない。
家族はみんな斎場に宿泊、僕らはホテルに戻る。
ホテルで嫁と呑む。何か穏やかなキモチ。
5月6日:葬儀は昼過ぎから。ホテルを早めに出て時間潰しのネットカフェに(笑。
昨日の晴天が嘘のように激しい雨。
葬儀は静かに厳かに行われる。姪は寝てしまいみんな笑う。
棺に姪の書いた手紙や花をみんなで捧げる。
母の配慮で父は好きだった和服を着ている。
みんなで大好きだったワインを飲ませてあげる。父の顔は穏やか。
母が遺影を、兄が位牌を、妹が骨壷を持つ。僕は棺を持つ手伝いを。
タクシーで京都市内の山の上の火葬場に移動。
お坊さんも同行してくれる。(お坊さんが火葬場に同行するのは珍しいとのこと)
お坊さんは再度お経をあげてくれる。家族で父に最後の挨拶。
そして父の遺体は火葬される。担当者は若い女性。
父の遺骨を見る。足腰の骨がしっかりと残っている。
担当者の指示に従い骨壷に移していく。担当者の気遣いに感謝。
母も妹も泣いている。でも・・・・ボクは涙が出なかった。
斎場に戻り初七日。お坊さんがお経を挙げ、父の戒名の意味を教えてくれる。
その後は食事会。姪を囲みながらみんなで談笑。
家族で相談し6月に49日をすることに。
父の遺骨に声をかけ、家族に挨拶しホテルに戻る。
ホテルでも嫁と呑む。
5月7日:ホテルをチェックアウト。新幹線に乗って東京に。
新幹線の中でビールとランチ。まるで何事もなかったような風景。
帰宅して疲れのあまり寝る。
夕方から嫁とお出掛けし寿司と酒を調達。
いつもの日常、いつもの風景、いつもの晩御飯。
今のところ悲しみはない、落ち込んでもいない。
ただ・・・あの3日の見舞いの日、もっと父の側にいるべきだった。
さっさとホテルに戻った自分を・・・悔いている。最後だったのに。
きっとこれから色んな感情が出てくるだろう。
何かあるたびに父の不在を感じるんだろう。
そうして・・・父がいなくなった現実を徐々に受容れていくんだろう。
先ずは明日から・・・目の前にいる「うすのろども」をやっつけなくっちゃ。
穏やかないいご葬儀だったようですね。
我が家の父が亡くなって4回目の月命日がきて
昨日 突然 母が退院しました。
6月末 といわれていたのになぜか
昨日急に退院にしていいから娘さんを呼びなさい
といわれたそうで。
迎えに行って 帰路の車中で
「最近 お父さんの夢ばかり見る
ふつうに食事したりテレビ見たりしている居間の夢」
というのを聞いて 改めて父の不在を実感しました。
私の場合は まったく覚悟のない所での死と
さらに入院中の母(しかも精神的な病)
絶対に許せないと思っていた妹との和解(?)に
向き合わなければならなかった日々でした。
涙は出ましたが 哀しみの涙ではなかったように
思っています。
それでもずいぶん過酷な精神的衝撃ではありました。
一見風が凪いでいるように見えても
もっと上空では小さな嵐があるかもしれません。
お母様と ご自身の気持ちを大切にしてね。
ハイ、穏やかな葬儀でした。笑顔で送れました。
でも全然疲れてません。
面倒なことは全部、兄と妹がしてくれたので。
ボクがしたのは新幹線乗って京都に行って
ホンの数時間見舞った・・・それだけ。
それだけしかできなかった。
家族といっても・・キモチのズレが生じるのは
仕方ないですね・・・オレもそうだし。
両親、兄妹・・に対してずっとありました。
今でもある。コンプレックス、引け目、
その他くだらないもろもろの感情。
逢っても本音で話せない、
ホントの自分なんて見せたくない、
だから優しい息子を演じる。
そうやって家族から逃げて過ごしてきました。
そして・・・父のいなくなるときまで
向かい合わなかった。最後まで逃げました。
逃げたから・・チャンと向かい合わなかったから
涙は出ません。
ただ・・胸に空っぽな穴ができてます。
埋めようのない大きな穴が・・・。
きっと、この穴を引きずってこれからも
家族から逃げて生きていくんだろうな・・。
どうしようもないバカですね、オレは(笑。
ただ・・・残された母親は大切にしようと思います。
せめてそれくらいは・・・しなくちゃ・・
しないとね・・・ホントに、それくらいは、ね。