仁万駅は、大田市仁摩地区の玄関駅で島根県大田市仁摩町仁万にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)山陰本線の駅です。「にま」にはいろいろな表記があり、駅名と駅のある集落は「仁万」、旧町名は「仁摩」、郡名と高校は「邇摩」と書くようです。近くにはドラマや映画にもなった「砂時計」の舞台、仁摩サンドミュージアムがあります。
駅は大きな木造駅舎。島式ホーム1面2線で、行き違い設備を有する地上駅。ホーム江津寄り海側に設けられた駅舎から構内踏切でホームへ向います。浜田鉄道部が管理し、ジェイアール西日本米子メンテックが駅業務を受託する業務委託駅で、窓口にはPOS端末、駅舎内には自動券売機が設置されている。ただし、早朝と夜間は無人となる。屋根瓦が青色。
仁万駅プラットホーム
1・2 ■山陰本線 上り 出雲市・松江方面 下り 浜田・益田方面
2番のりばを上下本線、1番のりばを上下副本線とした一線スルーのため、行き違いや待避がない限りは基本的に上下線とも2番のりばに発着する。停車列車同士の行違いの場合は、浜田方面行(下り)が1番のりば、出雲市方面行(上り)が2番のりばに入る。
石見東部の中心都市である大田市と旧温泉津町の中間に位置する旧仁摩町。仁摩は群名にもある邇摩郡の北東部に位置する町で、古くから港を中心に発展した町です。JR山陰本線仁万駅の西側、漁港側に市街地があり、旧山陰道沿いにかつての商店街が形成されていました。
群名が町名となっている事からも、古代石見国の国府や邇摩群家が置かれていた地とされていて、中世以降は石見銀山の開発によって商港として栄え。江戸時代は幕府直轄の銀山領二十二か浦七歩の一つとして舟表後番所が置かれていました。さらに昭和期には出稼ぎの石見左官の町としても知られます。なお「仁摩」という旧町名は昭和の合併で、仁万町、宅野村、大国村、馬路村が合併した際に仁万町と邇摩郡の文字を一ずつ合わせたものです。
1917年(大正6年)5月15日 - 国有鉄道山陰本線の石見大田駅(現・大田市駅) - 仁万駅間延伸時に、その終着駅として開業。客貨取扱を開始。
1918年(大正7年)4月21日 - 山陰本線が当駅から浅利駅まで延伸し、途中駅となる。
1973年(昭和48年)6月15日 - 貨物取扱を廃止。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる
電報略号 ニマ
駅構造 地上駅
ホーム 1面2線
乗車人員 -統計年度-339人/日(降車客含まず) -2009年-
開業年月日 1917年(大正6年)5月15日
備考 業務委託駅 POS端末設置
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