田川後藤寺駅(たがわごとうじえき)がある田川市は、昔の伊田町と後藤寺町が合併して発足した市です。市制施行以前から伊田町の中心駅「伊田駅」、同じく後藤寺町の中心駅「後藤寺駅」が存在していました。
その歴史の経緯から市制施行以後も田川市の中心地は伊田地区、後藤寺地区に二分されたままであり、市の中心駅も伊田駅と後藤寺駅の両方という扱いのため、外部のものには「どちらが中心駅か分からない」「田川市の駅なのに田川を名乗らないのは分かりにくい」という意見が絶えなかった。
そのため、伊田駅か後藤寺駅のどちらかを中心役として「田川駅」に改名しようという案が浮上。そこで、伊田、後藤寺双方の地元商店街を巻き込んで、どちらが田川駅と名乗るかということで大論争に発展した。 最終的に田川市民にアンケートを取り、様々な検討を重ねて、伊田、後藤寺の両駅名の頭に「田川」の二文字を付けることが決まり、現在の名前に落ち着いた。
地元では現在でも「伊田駅」「後藤寺駅」のように、頭の「田川」を省いて言うことが多い。、福岡県田川市大字奈良にある、九州旅客鉄道(JR九州)・平成筑豊鉄道の駅です。
平成筑豊鉄道の駅についてはディスカウントストア「MrMax」を運営する株式会社ミスターマックスがネーミングライツを取得し、2009年4月1日より愛称付きの駅名が「MrMax田川後藤寺駅」となっています。
九州旅客鉄道(JR九州)
日田彦山線 - 当駅の所属線。
後藤寺線 - 田川後藤寺駅駅が起点。ただし列車運行上は当駅に向かう列車が下り、当駅を出る列車が上りとして扱われる。
平成筑豊鉄道
糸田線 - 田川後藤寺駅が終点。
単式ホーム1面1線が2つと島式ホーム1面2線、また1番線の北方を切り欠いた切欠きホーム1線、合計3面5線のホームを有する地上駅。互いのホームは跨線橋で連絡しています。
新しい小柄な駅舎が建っています。JR九州の駅は直営駅で、みどりの窓口が設置されています。駅舎内部には待合所と改札口があり、JR・平成筑豊鉄道双方の自動券売機があります。平成筑豊鉄道の定期券はみどりの窓口で販売する。改札口は両社共用でJRの職員が担当しています。改札口は壁で仕切られ一つの部屋になっています。
のりば
0■JR後藤寺線新飯塚方面
1・3・4■JR日田彦山線(上り)城野・小倉方面
(下り)添田•日田方面
2■平成筑豊鉄道糸田線金田・直方方面
1896年(明治29年)2月5日 - 後藤寺駅(ごとうじえき)として豊州鉄道(初代)が開設。
1897年(明治30年)10月20日 - 後藤寺 - 宮床駅間(現在の糸田駅)支線(現在の「糸田線」)、および、後藤寺 - (貨)起行駅間支線(現在の「後藤寺線」)が開通。
1901年(明治34年)9月3日 - 豊州鉄道を九州鉄道(初代)が合併。
1907年(明治40年)7月1日 - 九州鉄道(初代)が国有化され帝国鉄道庁(田川線)が所管。
1922年(大正11年)2月5日 - 赤坂 - 起行間を開業した九州産業鉄道(後の産業セメント鉄道)が乗入開始。
1943年(昭和18年)7月1日 - 産業セメント鉄道が戦時買収により国有化され後藤寺線に編入。
1982年(昭和57年)11月3日 - 田川後藤寺駅に駅名改称。
1984年(昭和59年)2月1日 - 貨物業務取扱廃止。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により九州旅客鉄道に継承。
1989年(平成元年)10月1日 - 糸田線が平成筑豊鉄道に転換。
2009年(平成21年)4月1日 - 平成筑豊鉄道の駅にネーミングライツにより「MrMax」の愛称が付く。
電報略号コト
駅構造地上駅
ホーム3面5線
乗降人員
-統計年度-(平成筑豊鉄道)695人/日
-2009年-
開業年月日1896年(明治29年)2月5日
乗入路線 3 路線
所属路線■日田彦山線
キロ程30.0km(城野起点)
◄田川伊田 (2.6km)(2.2km) 池尻►
所属路線■後藤寺線
キロ程0.0km(田川後藤寺起点)
◄船尾 (3.4km)
所属路線■糸田線
キロ程6.8km(金田起点)
◄大藪 (1.9km)
備考共同使用駅
JR九州:直営駅
JR九州:みどりの窓口 有
* 1982年に後藤寺駅から改称。
かっては田川地区の鉄道の基地で機関区をはじめ多くの機関があり、車両でひしめきあっていました。
駅前には石炭に因んで付けた田川銘菓"黒ダイヤ"という羊羹を販売している店があったり、昔ながらの食堂も健在です。
駅周辺にはかっての賑わいを思わせる映画館跡(現バスセンター)や後藤寺商店街などがありますし、岩戸神楽で有名な春日神社は徒歩で5分の距離です。また(小説)「青春の門」の舞台となった烏尾峠はバスで20分(烏尾峠下車)ぐらい、田川の街が展望できます。
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