観光列車から! 日々利用の乗り物まで

日記代わりに始めました。
まずは先日の小旅行での観光列車から出張利用の乗り物まで。

485系電車(クハ481-256)特急列車にちりん

2019-06-06 05:07:05 | 乗り物(列車・車両)

485系電車(485けいでんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が設計・製造した交流直流両用特急形電車である。
1950年代半ば以降、国鉄は地方線区の電化では地上設備の低廉性などから交流電化を推進し、各地に直流電化方式との接続点となるデッドセクションが生じた。さらに特急列車の運転区間が地方線区に拡大され、上述の異電源方式区間への直通運転要求に応えるために製造されたのが本系列である。1964年(昭和39年)から関西⇔北陸・九州用に直流/交流60Hz対応の481系電車が、翌1965年から関東⇔東北用に直流/交流50Hz対応の483系電車が製造された。1968年からは交流の周波数が50・60Hz両対応となった485系電車が製造され、本系列の統一形式名となった。
1971年には派生系列として信越本線横川 - 軽井沢間(碓氷峠)でEF63形補助機関車との協調運転に対応した489系電車の製造も開始された。
本系列は1979年(昭和54年)まで製造が行われ、四国を除く日本各地の特急列車に投入された。当初は主に東京・大阪・名古屋などの大都市圏と交流電化された東北・北陸・九州方面直通特急で、山陽・東北・上越の各新幹線開業後は新幹線連絡特急などで運用された。
1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化時には、北海道旅客鉄道(JR北海道)・東日本旅客鉄道(JR東日本)・西日本旅客鉄道(JR西日本)・九州旅客鉄道(JR九州)に継承され、引続き特急運用に投入された。ただしJR北海道へは改造用種車として付随車のみの継承であったが、1両も改造されずに全車廃車となった。1990年代以降では団体専用列車用ジョイフルトレインへの改造も施工された。しかし新幹線の延伸開業などによる運用の減少・老朽化・後継系列の置換えにより廃車が進行。2017年3月3日に定期運用が終了した。

外観・設備
外観は151・161系→181系の流れを踏襲しており、先頭部は同様のボンネット型を採用した。ただし1972年以降製造の後期形クハ481形は、ほぼ同時期に登場した183系電車と同様のデザインに変更されたため定員が8人増加した。
床下機器の寸法に合わせ床面の高さを近郊形・急行形の車両よりも10mm高い1,230mmとし、屋根高さも151系に比べて120mm高くなった。運用路線のプラットホーム高さに合せるべく扉にはステップを設置し、東北・北陸などの寒冷地区投入を考慮した耐雪耐寒構造で製造された。また側扉は当初は普通鋼製であったが、1968年以降の製造車は内側が無塗装のステンレス製に変更された。
サービス面では側面行先表示に当初は従来通りサボを使用したが、481系・483系では自動巻取式方向幕搭載準備工事が国鉄車両としては初めて施工され、1968年以降製造された485系では新製時より搭載された。表示器は当初18コマ、中期形以降は40コマ対応となり後に後者へ統一された。
冷房装置は、前期形ではAU12形分散式冷房装置1基ないし2基をキノコ形ケースに収め先頭車は5基、中間車は6基を屋根上に搭載する。ただしモハ480形・モハ482形・モハ484形・モハ488形は、パンタグラフや交流機器などの艤装スペースとの関係からAU12形は3基搭載に制限され冷房能力が不足するため車内機器室に床置形のAU41形を3基搭載する。しかし後期形以降では大幅に変更された。
主要機器
制御方式は、直流電化区間では架線電源をそのまま使用し、交流電化区間では変圧器で降圧後に整流器で直流にする401系・421系電車からの一貫した手堅い間接式の機器構成を踏襲したMM'ユニット方式による抵抗制御を採用。M車には山岳区間での使用も考慮して抑速ブレーキを搭載した自動ノッチ戻し機構付きのCS15系制御装置を、M'車には交流区間で直流電源を供給する主変圧器・主整流器などの機器を搭載する。
主電動機は定格出力120kWのMT54系直流直巻電動機を特急形電車としては初めて搭載。歯車比22:77(1:3.50)によりMT比1:1でも20‰程度の勾配を登坂可能で経済性が向上し最高運転速度は120km/hとされた。
台車は揺枕吊を廃止したインダイレクトマウント式空気バネ台車DT32A形を電動車に、TR69A型を付随車に装着。増備中に何度か改良型へのマイナーチェンジも実施した。
パンタグラフは設計段階でBT饋電方式の交直・交交セクション通過時トラブルを懸念して1基搭載案があったものの直流区間では離線対策から2基搭載使用となった。国鉄末期以降は架線の損耗減少対策から130km/h運転を実施していた湖西線を除いて原則として第2パンタグラフの使用中止もしくは撤去した。ただしJR東日本の一部車両では架線霜取のため2基使用を行う。
新造車
横軽区間用協調機器を搭載する489系を除き主変圧器の対応周波数に関係しない制御・付随車は481形が483系・485系でも引続き増備された[注 1]。またサロ481形九州配置車は1980年に食堂車の連結が中止されたため1979年以降に洋式トイレ・洗面所を車販準備室に変更する改造を施工したほか、サシ481形は食堂営業廃止による不連結や他形式への改造により1989年に廃形式となった。

481系
交流60Hz対応車で新製時には向日町運転所(後の京都総合運転所→現・吹田総合車両所京都支所)へ集中配置された。
北陸本線金沢 - 富山操車場(現・富山貨物)間交流電化完成により1964年10月1日のダイヤ改正で新設された「雷鳥」「しらさぎ」への充当を目的にモハ481形・480形電動車ユニット11組22両と制御・付随車19両の計41両が新製されたが、車両落成が同年10月末と遅れた影響などにより運転開始は12月25日に延期された。
翌1965年には151系で運転されていた九州特急「つばめ」「はと」の下関以西電気機関車牽引ならびに山陽本線上り広島 - 八本松間補助機関車連結解消目的の置換えで増備された。
クハ481形 (201 - 263)
貫通型への設計変更のほか、210KVA MGと容量を2,100l/minへ変更したMH113-C2000形CPを床下搭載とした上で連結面車体長も21,000mmと短縮されたが、客室スペースは拡大されたため定員は0・100番台から8名増の64名となった。
2016年10月2日付でJR九州大分車両センター所属の256が廃車され区分消滅。
構造的にはクハネ581形・583形同様に外扉を設けて貫通扉などを隠すが、外扉の開閉は空気シリンダーにより自動化された。正面の列車名表示器は貫通扉幅の制約から小型化された手動式である。
営業運転での正面貫通路の使用開始は1985年3月14日ダイヤ改正による「くろしお」からで、それ以前から使用する見込みのない車両は腐食防止や隙間風対策の観点から外扉の溶接もしくは貫通路を完全に埋込む改造が施工された。
分割併合運用については1976年から長崎本線・佐世保線の「かもめ」・「みどり」でも実施されたが、この時は正面貫通路を一切使用していない。
本区分は全部で63両が製造されたが、新造時にその2/3に当る201 - 224・227 - 230・235 - 238・254 - 263の42両が青森運転所に、225・226・231 - 234・239 - 253の21両が向日町運転所に集中配置された。
青森には100番台車も10両が配置されていたが、200番台配置に伴い全車が向日町運転所に早期転出となった。これは当時東北本線系統と奥羽本線系統の特急を福島駅で分割・併合運転する計画があり準備段階として集中配置を行ったもののホーム有効長の問題・奥羽本線板谷峠急勾配によるM:T比2:1の制約・新形式導入の必要性や輸送量などの諸事情等で計画は白紙に戻された。さらに欠点である隙間風や居住性の悪さが乗務員から敬遠され、300番台以降の非貫通型クハに置換えが進み青森配置車は国鉄時代に北陸・九州地区へ全車転出した。
青森配置車の203・204・207・208には電気連結器と自動解結装置および自動貫通幌引出装置が試験的に装着されていた。これらは分割・併合運用の際に作業の省力化を狙ったものだったが、数回テストされたにとどまり、1976年に撤去された。
運転室への昇降は、1972年製造車が足場を設ける方式、1973年製造車が0・100番台と同様の階段式を採用

にちりんは、九州旅客鉄道(JR九州)が小倉駅・大分駅 - 佐伯駅・宮崎駅・南宮崎駅・宮崎空港駅間を、日豊本線・日南線・宮崎空港線経由で運行する特急列車である。
「にちりん」の派生系統で、博多駅 - 宮崎空港駅間を鹿児島本線・日豊本線・日南線・宮崎空港線経由で運行する特急「にちりんシーガイア」、および同じく「にちりん」の派生系統でかつて運行されていた夜行特急「ドリームにちりん」を含めた日豊本線で運行されていた。
特急「にちりん」は、1968年10月1日に博多駅 - 西鹿児島駅(現在の鹿児島中央駅)間を日豊本線経由で運行していた同名の急行列車を特急に格上げする形で運行を開始した。当時の日豊本線は幸崎駅以南が非電化であったためキハ80系気動車が使用された。その後、1972年に博多駅 - 大分駅間に485系電車を充当して1往復増発され、1974年4月25日に南宮崎駅まで電化が延長されたのを受けて485系充当の列車は宮崎駅まで延長された。
1975年3月10日のダイヤ改正では、「にちりん」は同日全線開業した山陽新幹線と小倉駅で接続する列車として位置づけられ、従来関西方面と日豊本線を直通していた特急「みどり」の九州内区間を編入する(「みどり」は翌年佐世保線の特急として列車名復活)などして8往復に増発され、同時にエル特急の指定を受けた。1979年に日豊本線の電化が完了し、翌年には気動車による運転を終了した。1982年11月15日のダイヤ改正では、夜行列車を除く日豊本線の優等列車が「にちりん」に統一された。
国鉄分割民営化以降は増発と大分駅発着列車を中心に新型車両の投入が進み、1993年頃までに博多駅 - 大分駅間と博多駅 - 南宮崎駅(西鹿児島駅)間がそれぞれ1時間あたり1本ずつの運行にほぼ統一された。この間下関駅・門司港駅発着の列車が設定された時期もあったが、博多駅発着への統一化に伴い前者は1992年3月13日、後者は1997年3月21日をもってそれぞれ廃止された。
1995年4月20日に宮崎駅 - 西鹿児島駅間が「きりしま」として、1997年3月18日に博多駅 - 大分駅間の列車が「ソニック」として系統分割され、「にちりん」は博多駅 - 南宮崎駅・宮崎空港駅間の列車となったが、この頃から九州自動車道の全通により福岡市と宮崎市を結ぶ高速バス「フェニックス号」が大幅に時間短縮された影響で「にちりん」は特に大分駅 - 延岡駅間での利用不振が目立つようになっていた。そのため、2000年3月11日に「にちりん」は大分駅 - 延岡駅を廃止、博多駅 - 大分駅間は「ソニック」に編入、延岡駅 - 宮崎駅間は「ひゅうが」として系統分割する形で大幅に本数が削減された。
その後、「にちりん」の本数自体は2000年3月10日以前の水準に回復していったが、2001年3月3日に小倉駅発着、2003年3月15日・2004年3月13日に別府駅発着に短縮された。2009年以降はさらに別府駅から大分駅発着への変更が進み、2012年3月17日に大分駅発着に統一された。このようにして、「にちりん」は従来の福岡県と大分県・宮崎県間の輸送、および山陽新幹線接続の役割から、大分県・宮崎県間の輸送、および宮崎空港へのアクセスへと役割を移していった(ただし「ソニック」と大分駅での接続の利便性を図ることで、従来の役割も一部残されている)。
「にちりん」の派生列車
特急「にちりんシーガイア」は1993年3月18日に「にちりん」の南宮崎駅発着列車のうち2往復に787系電車を投入した際に与えられた別愛称であるが、当初から「にちりん」と共通の号数が与えられている。列車名は、同年に開業した宮崎市のリゾート施設、シーガイアに因んでいる。2000年3月11日に783系電車での運行となり、翌2001年3月3日には「にちりん」が小倉駅発着に変更されて一部列車が783系での運行になったことから(このとき「にちりんシーガイア」は1往復に削減されたが、2011年3月12日に上り1本が増発された)、以降は博多駅に乗り入れる「にちりん」としての意味合いが強くなっている。なお博多駅 - 宮崎空港駅間の運行距離は413.1㎞(西小倉駅 - 小倉駅間の重複運転部分も含む)で、2016年3月26日のダイヤ改正以降は夜行列車を除き、定期運行を行うJRグループ在来線の優等列車としては最長距離を走っている。
特急「ドリームにちりん」は「にちりんシーガイア」の運行開始に合わせて、それまで門司港駅 - 西鹿児島駅間で運行されていた夜行急行「日南」を、787系投入の上で博多駅 - 南宮崎駅間の特急に変更する形で運行を開始した。2009年3月14日以降はJR九州管内を運行する唯一の定期夜行列車となっていたが、2011年3月10日出発分の運行をもって廃止された。
このほか、1990年3月から1995年3月までは783系充当の列車を「ハイパーにちりん」、1995年4月から1997年3月までは883系電車充当の列車を「ソニックにちりん」の列車名としていた。
列車名の由来
列車名の由来は、太陽を表す「日輪」を平仮名にしたものである。
「にちりん」の名称自体は、博多駅・門司港駅 - 西鹿児島駅間(日豊本線経由)および博多駅 - 熊本駅間(日豊本線・豊肥本線経由)で運行していた急行「ひかり」が、「ひかり」の愛称を東海道新幹線の超特急に使用するのに伴い列車名の変更を余儀なくされ、1964年10月1日から西鹿児島駅発着編成を「にちりん」とした列車が最初である。この「にちりん」は翌年の9月30日に廃止されるが、1965年3月25日に博多駅 - 西鹿児島駅間を運行する急行列車として列車名が復活し、上記の通り1968年に特急に昇格した。


クハ481-256
JR九州大分車両センターに所属していた元Do32編成の小倉方先頭車。2016年10月2日の廃車[40]と同時に小倉総合車両センター構内で静態展示保存。
国鉄485系電車
(481系・483系・485系・489系)
基本情報
運用者 日本国有鉄道
東日本旅客鉄道
西日本旅客鉄道
九州旅客鉄道
製造所 川崎車両→川崎重工業
日立製作所笠戸事業所
日本車輌製造
東急車輛製造(現・総合車両製作所)
汽車製造
近畿車輛
製造年 1964年 - 1979年
製造数 1,453両
運用開始 1964年12月25日
主要諸元
軌間 1,067 mm
電気方式 直流1,500V
交流20,000V(50Hz/60Hz)
最高運転速度 120 km/h*
設計最高速度 160 km/h
起動加速度 1.3 km/h/s (MT比1:1)- 1.6 km/h/s (同2:1)
車体 普通鋼
台車 DT32・TR69
インダイレクトマウント空気バネ台車
主電動機 MT54形直流直巻電動機
主電動機出力 120 kW × 4
駆動方式 中空軸平行カルダン駆動方式
歯車比 22:77(1:3.50)
定格速度 72.0 km/h (全界磁)・116.0 km/h (40%界磁)
制御方式 抵抗制御・直並列組合せ・弱め界磁
制御装置 CS15系制御器
制動装置 発電ブレーキ併用電磁直通ブレーキ
勾配抑速ブレーキ
保安装置 ATS-S(登場時)
ATS-P(一部)
ATC-L(3000番台の一部)
備考 * 基本値。湖西線で130km/h、津軽海峡線で140km/h運行を実施


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 希望が丘高校前駅 筑豊電気... | トップ | 筑豊香月駅 筑豊電気鉄道筑... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿