霊丘神社での島原鉄道C12形蒸気機関車(C1201号機)
霊丘神社(れいきゅうじんじゃ)は、長崎県島原市に鎮座する神社で旧社格は県社。島原の乱の後、当地を治めた高力氏により東照宮が勧請されたことに始まる。1883年(明治16年)には高力氏の後を受けた島原藩主松平氏(深溝松平家)七代の霊を合祀し現在の名称になりました。
島原鉄道で活躍したC12:5両の内の1両です。1948年・日本車輛製造(製造番号1497) → 1952年改番C1201
国鉄C12形蒸気機関車は、日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道省が製造した過熱式のタンク式蒸気機関車です。軸重制限のある簡易線規格路線用の小型軽量な機関車として設計され、本形式からテンダー式のC56形が派生しました。
昭和時代に入り主要幹線の整備が一通り終わると、大きな需要の見込めない閑散支線の建設が進められました。しかし折から経済恐慌が深刻化し、建設費を安く抑えるため簡易線が数多く建設されました。このような路線には軸重が軽く、運転コストの安い新型の小型機関車が要求されたため、C12形が製造されることになりました。
鉄道省(国鉄)向けとしては1932年(昭和7年)から1940年(昭和15年)まで、および1947年(昭和22年)に282両が製造されている。製造メーカーは川崎車輛、汽車製造会社、日立製作所、日本車輌製造、三菱重工業の5社である。火室は深く設計され焚火しやすく、38号機以降は、アーチ管を増設して伝熱面積を増加し蒸発量を増やす改良が行なわれています。このほか鉄道省以外に納入され、戦時買収などにより鉄道省に引き継がれ、C12形に編入された同形車が11両 (C12 265 - 275) あるため、ラストナンバーはC12 293となっています。基本的にはデフレクターを装備していないが、C11形と同型のデフレクターを装備した車両も少数だが存在しました。
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