観光列車から! 日々利用の乗り物まで

日記代わりに始めました。
まずは先日の小旅行での観光列車から出張利用の乗り物まで。

米原駅 東海道本線

2014-04-13 06:51:33 | 東海道本線

米原駅の駅名よみは「まいばら」ですが地名よみは「まいはら」です。滋賀県米原市米原にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)・東海旅客鉄道(JR東海)・日本貨物鉄道(JR貨物)・近江鉄道の駅です。かつて駅東側に米原郵便局があった。滋賀県内の郵便の窓口であったほか、近江鉄道線を経由する郵便路線の始発でもあった(そのため近江鉄道には郵便車があった)。現在は米原郵便局は湖岸側に移設され、また旧ホームから郵便局への通路も取り壊され当時を偲ぶものはない。

JR東海に所属する東海道新幹線と、JR西日本およびJR東海に所属する東海道本線、JR西日本に所属する北陸本線、近江鉄道の本線が乗り入れています。北陸本線と近江鉄道本線は当駅が起点となっています。なお、東海道本線と北陸本線はJR貨物の第二種鉄道事業路線にもなっています。滋賀県内で唯一の新幹線停車駅です。


JR在来線における当駅の所属線は東海道本線となっています。東海道新幹線・東海道本線・北陸本線は、1987年3月まではすべて日本国有鉄道(国鉄)の路線であったが、同年4月の国鉄分割民営化によってJR東海とJR西日本に分割されました。当駅がJR西日本とJR東海の会社境界駅となり、東海道本線は当駅より大垣・名古屋方面がJR東海、草津・京都方面がJR西日本の管轄となった。JR西日本とJR東海の共同使用駅であり、在来線構内はJR西日本、新幹線構内はJR東海の管轄である。このため名古屋以遠に乗り入れる列車に対しても「名古屋方面浜松行き」といったJR西日本方式のアナウンスがなされており、発車標についても同様である。またJR西日本の東海道本線の当駅 - 京都駅間と北陸本線の当駅 - 長浜駅間には合わせて「琵琶湖線」の愛称が設定され、一体化した運転系統となっている。なお当駅では北陸本線に対しては案内上「琵琶湖線」を使用していない。

在来線・新幹線とも地上駅です。現在の駅舎は2009年3月21日より供用開始となったコンクリート橋上駅舎です。米原市管理の東西自由通路が駅の東西を結び、自由通路から在来線改札口(JR西日本)・新幹線改札口(JR東海)を利用できる。また改札内には新幹線・在来線の乗り換え改札がある。

在来線のりば
島式ホーム3面6線を使用する。1番線・4番線にはホームがなく、島式ホームはそれぞれ、2・3番線(東海道線・琵琶湖線下り発着)、5・6番線(北陸線)、7・8番線(琵琶湖線・東海道線上り発着と一部の北陸線列車)となっています。
北陸線の列車は2 - 8番線のいずれからも発着でき、折り返しが可能。一方、東海道線の列車は上り下りどちらの場合も一旦北側の電留・客操線に引き上げないと折り返しができない。また橋上駅となった後も、これまで通り7・8番線ホームには階段およびエスカレーターが片方向1ヶ所しかない。
国鉄時代は名古屋鉄道管理局管轄の駅であったが、分割民営化直前に在来線部分が大阪鉄道管理局に移管された。もともと米原駅が名古屋・大阪・金沢の各鉄道管理局に接しており、大阪と金沢がJR西日本になったため、それに合わされたものである。国鉄時代の名古屋・大阪局境は、米原駅 - 彦根駅間(旧仏生山トンネルの付け替え区間)にあった。境界駅では下り場内信号機を会社境界とすることが原則であるが、これでは米原機関区の設備区分が複雑になるため、分割時に設定された会社境界は駅東方(醒ヶ井方)の、東海道本線の上り線と下り線とが合流するカーブ付近の下り第1閉塞信号機(東京起点443k995m)である。このため、そのすぐ西にある踏切(善光寺踏切)は米原駅より東方に位置するが、JR西日本の管理下にあり、通行者向けの看板もJR西日本仕様のものが使われている。


2009年7月1日から、在来線を管轄するJR西日本は京阪神近郊エリアの在来線駅のホーム上の喫煙コーナーを廃止した関係で、当駅も同日以降、在来線ホームは全面禁煙となっている。ただし、JR東海が管轄する新幹線ホームにおいては、喫煙所は存置されている。
なお当駅は駅長が配置された直営駅であり、管理駅として北陸本線の坂田駅 - 近江塩津駅間の各駅を管理しています。

JR米原駅 在来線プラットホーム
ホーム 路線 行先 備考
2・3 ■琵琶湖線 草津・京都・大阪方面
5・6 ■北陸線 敦賀・福井・金沢方面 一部7番のりば
7・8 ■東海道線 大垣・岐阜・名古屋方面


路線名は旅客案内上の表記で記載している。前述した通り「琵琶湖線」の愛称は東海道本線京都方面のみ用いられている。
ラッシュ時の北陸本線方面の新快速・普通の一部が7番のりばから発車する。
夜間滞泊設定列車が多い。
JRの駅では株式会社井筒屋(北九州市にある百貨店の井筒屋とは無関係、5・6番のりばの立ち食いそば屋も運営)が販売しています。

新幹線のりば
東海道新幹線は島式ホーム1面2線と単式ホーム1面1線、合計2面3線のホームを使用する。11番線が下り(新大阪・博多方面)、12番線が上り(名古屋・東京方面)で、13番線は通常使われていない。


JR米原駅 新幹線プラットホーム
ホーム 路線 方向 行先
11 東海道新幹線 下り 新大阪・博多方面
12 東海道新幹線 上り 名古屋・東京方面
13 (予備ホーム)

夏季と冬季、米原駅以北の新快速および普通のドアは冷暖房保温及び虫侵入防止を目的に半自動扱いとなります。ドア横のボタンを押してドアを開閉する(JR西日本車両のみでJR東海車両はない)。
ホーム有効長の制限により、米原駅以北長浜駅までは8両、虎姫駅以北は4両のみ入線可能です。そのため多くの列車で増解結作業が行われています。下り列車は第二場内信号機に併設された誘導信号機でホームに進入するため、坂田駅 - 米原駅間の所要時分が増結のない列車に比べて長く設定されています。
駅掲示の在来線時刻表はJR東海の管轄となる大垣方面も含めてJR西日本仕様です。JR東海公式サイト上ではJR東海版時刻表が閲覧可能。また以前はJR東海フォーマットの各方面の在来線時刻表が新幹線・在来線乗換口のJR東海管理部分に設置されていたが、現在掲示はありません。
橋上化完成で、それまで改札内のみだったJR東海の窓口が、改札外にも設けられ、併せて新幹線にも直接入場できるようになりました。
かつて「町」(滋賀県坂田郡米原町)にある新幹線の駅として小郡駅(現・新山口駅)とともに有名でした。2005年に市制施行により「町」ではなくなったが、その際に知名度の高い駅名に合わせ従来の米原(まいはら)町を米原(まいばら)市と読み替えています。このため、駅周辺の住所は「米原市米原(まいばらしまいはら)」となっており、旧町名の読み方が残っています。
各種ICカード乗車券は琵琶湖線(京都・大阪方面)または北陸本線(近江塩津まで)がサービスエリアである(近江塩津から湖西線近江今津方面への利用は可能)。当駅から東に4駅目の関ヶ原駅以東はJR東海のICカード乗車券であるTOICAの利用可能エリアであるが、ICOCAとTOICAのそれぞれのエリアをまたぐ利用は不可能。例えば、ICOCAエリアである当駅でICカード乗車券で入場し、そのICカード乗車券でTOICAエリアである大垣駅などで降車することは不可能である。ただしエリアをまたぐ方法として、ICカード対応自動券売機であらかじめカードでの切符を購入しておけばエリアをまたいで利用可能である。当駅には最近までICカード対応の自動券売機がなく、「ICカードによりあらかじめ切符を買う」ことができなかったが、2011年2月にICカード対応自動券売機が設置され、ICカードを自動券売機に挿入することにより切符を購入することが可能となりました。
米原駅北方の岩脇(いおぎ)山に太平洋戦争末期に掘削された蒸気機関車の避難壕跡が残る。
米原機関区にあった大神宮は、米原市米原の湯谷神社へ遷宮されています。

1889年、現在の東海道本線に当たる関ヶ原駅 - 馬場駅(現在の膳所駅)間と、北陸本線の長浜駅 - 米原駅間が開業したことに伴い、両線の接続駅として設置されました。それまでは関ヶ原駅 - 長浜駅間に鉄道が存在し、大津から長浜の間を結ぶ太湖汽船の鉄道連絡船もあわせて長浜駅がその役割を担ってきたが、その役目を引き継いだ形になる。
かつては、東海道本線における急勾配区間の一つであった大垣駅 - 関ヶ原駅間を越えるための補助機関車を留置する基地、それに北陸本線の起点として機関区が設けられ、多数の蒸気機関車が在籍していました。
東海道線本線稲沢駅 - 当駅間電化の際には、新たに電気機関車も当駅に配置され、ここで電気機関車と蒸気機関車の付け替えが行われた。さらに北陸線が交流電化された際は、当駅 - 田村駅間で蒸気機関車による列車継走が行われ(その後ディーゼル機関車に移行)、EF81による直通運転が始まるまで、交直接続のつなぎとして大きな役割を担った駅です。
また、北陸線列車の始発駅として大きな役割もあった。客車区が置かれ北陸線の普通列車に運用されていたほか、郵便や荷物の積み替えも多かった。1955年には貨物操車場が駅南側に移転拡張され、東海道線と北陸線の貨車の授受作業とともに貨物列車の仕立ても行われていた。
駅の開業時は東海道線と北陸線の3面5線の規模で、駅舎と各ホームは地下道で結ばれていた。
1955年、稲沢駅 - 米原駅の電化開業に合わせ操車場の移設を含む大幅な改良工事が行われ、上り線は大きく湖側に離れ、上下線間に操車場を抱き込む形になった。このとき上り線の2面4線のホームが新たに設けられ、北陸線と東海道線上りは駅の北側で立体交差することになった。下り側1 - 5番線と上り側7 - 10番線の間には操車場への通路線が複数入り、長い跨線橋が新設され、下り側ホーム群と上り側ホーム群を繋いでいた(6番線は欠番)。機関区も電気機関車対応の施設が新設され、EF58やのちにはEF65型機関車などが配置されていました。
1964年には、新幹線が開業した。在来線上りホームに隣り合う湖岸側に駅舎(西口)が設けられ、駅は西側に大きく広がることとなる。ただし、新幹線に出入りできる直接の改札はなく、一旦在来線構内を通って新幹線改札に進むものであった。この形は国鉄分割時にもそのまま引き継がれ、東西の駅舎はJR西日本が、構内の新幹線部分をJR東海が管理することになりました。
JR化後客車列車の減少とともに機関区・客車区は廃止され、跡地は電留線になっています。
1998年には操車場の縮小整理と基盤整備に合わせて下りホームが上り側に移設され、新たに1面2線のホームを設けるとともに、東口駅舎も移設新築された。旧の下りホーム3面5線と東口駅舎は解体され、跡地は新しい駅前広場として整理されています。
さらに2009年には橋上化が完成し、東西自由通路上に在来線(JR西日本)と新幹線(JR東海)の駅舎が並ぶ形となりました。

1889年(明治22年)7月1日 - 官設鉄道・関ヶ原駅 - 当駅 - 馬場駅間・当駅 - 長浜駅間の開通と同時に開業。一般駅。
1895年(明治28年)4月1日 - 線路名称制定。東海道線(1909年に東海道本線に改称)の所属となる。
1902年(明治35年)11月1日 - 当駅から長浜方面への東海道線支線が北陸線(1909年に北陸本線に改称)に編入。
1931年(昭和6年)7月4日 - 近江鉄道の駅が開業。
1954年(昭和29年)2月 - 構内改良工事着手。
1955年(昭和30年)4月 - 操車場の使用を開始。
1955年(昭和30年)7月25日 - 稲沢駅 - 当駅間電化完成。
1956年(昭和31年)11月19日 - 当駅 - 京都駅間が電化され、東海道本線全線電化。
1957年(昭和32年)10月1日 - 田村駅 - 敦賀駅間電化、E10形蒸気機関車による北陸本線列車継走が始まる。
1962年(昭和37年)12月28日 - 当駅 - 田村駅間電化、ED30形交直流機関車による北陸本線列車継走が始まる。
1964年(昭和39年)


10月1日 - 東海道新幹線開業。
当初は、当駅より人口の多い彦根駅に開設する計画だった。しかし予算面で断念したことや、また北陸線からの乗客には当駅停車の方が便利であり、「ひかり」停車の要望が敦賀・福井・金沢方面から出されたことも有る。当時の東海道新幹線では珍しい(「市」ではなく)「町」にある駅として誕生した。
拡張後1998年までの在来線は1番ホーム(下り本線)、2・3ホーム(東海道下り1番・2番線)、4・5番ホーム(北陸線上り本線・上り1番線)、7・8ホーム(北陸線下り1番線・本線)、9・10ホーム(東海道上り1番線・本線)であった。北陸線の米原折り返しは主に4・5・7番線を使用し、北陸発大阪行きは3・4番線、名古屋発北陸行きは2・3番線を主に使用していた。
12月25日 - 北陸線電車特急「雷鳥」「しらさぎ」運転開始。
交流区間を走行する初めての電車特急として誕生。ただし、その使用車両である481系電車の落成が遅れ、当初新幹線開業に合わせ運転開始予定が12月までずれ込んだもの。
1972年(昭和47年)
3月1日 - 貨物の取扱いを廃止。


10月2日 - 「ひかり」3往復が米原に新規停車となる。
1975年(昭和50年)3月10日 - 関西 - 北陸間の特急列車が湖西線廻りに変更され、米原駅からの北陸特急は名古屋駅発着のしらさぎとこの日新設の米原駅始発の加越(2003年10月しらさぎに統合)となる。特急列車の米原駅始終着は初めて。
1986年(昭和61年)11月1日 - 荷物取扱いを廃止。
1987年(昭和62年)
3月1日 - 国鉄分割民営化を控え、名古屋鉄道管理局から大阪鉄道管理局に移管される。
3月31日 - 貨物の取扱いを再開。ただし、以降の貨物取扱の実績はなかった。
4月1日 - 国鉄分割民営化により、在来線はJR西日本、新幹線はJR東海、貨物営業はJR貨物が承継。
1989年(平成元年)3月11日 - 大阪・京都方面からの新快速の乗り入れを本格的に開始。
1991年(平成3年)9月14日 - 北陸本線田村駅 - 長浜駅間直流化。これにより当駅発着の一部の新快速を長浜駅へ延長。
1998年(平成10年)
3月17日 - 新幹線乗換改札口に自動改札機を導入。
9月1日 - 東口新駅舎使用開始。
これに先立つ改築で、旧7・8番ホーム横に新1 - 4番線を敷設、2・3番線の間にホームを設置、新下りホームとなる。旧1番 - 5番ホームを廃止。旧7 - 10番ホームを5 - 8番に改称。
2003年(平成15年)11月1日 - JR西日本でICカードICOCA供用開始。
2007年(平成19年)6月8日 - 近江鉄道の駅舎・ホーム移転。
2009年(平成21年)
3月21日 - 自由通路・在来線橋上駅舎供用開始。
橋上化にあたり、まず2008年(平成20年)2月9日に改札内に限り自由通路暫定供用開始。さらに2009年3月7日には新幹線改札の移動、JR西日本5・6・7・8番のりばの彦根寄りの階段の使用を開始し、新幹線の旧改札口と自由通路設置に伴い仮設された7・8番ホーム階段を廃止。なお、工事中の2008年12月10日にはホーム上工事囲いのフェンスが貨物列車通過の風圧で飛散し、ホーム上の乗客2名とホーム誘導員1名が怪我をする事故が起きている。
6月1日 - 新幹線橋上駅舎・改札口供用開始。これにより東西自由通路から直接新幹線改札を通ることができるようになった。
7月1日 - 在来線ホームが全面禁煙となる。

電報略号 マイ
駅構造 地上駅(橋上駅)
ホーム 2面3線(新幹線)
3面6線(在来線)
乗車人員
-統計年度- (在来線)4,503人/日
(新幹線)5,679人/日(降車客含まず)
-2010年-
開業年月日 1889年(明治22年)7月1日
乗入路線 3 路線
所属路線 ■東海道新幹線
キロ程 445.9km(東京起点)
◄岐阜羽島 (49.6km)(67.7km) 京都►
所属路線 ■■東海道本線**
キロ程 445.9km(東京起点)
◄*醒ヶ井 (6.1km)(6.0km) 彦根*►
所属路線 ■北陸本線**
キロ程 0.0km(米原起点)
(2.4km) 坂田►
備考 JR西日本:直営駅(管理駅)
JR東海:駅長配置駅(管理駅)
みどりの窓口 有
新幹線駅はJR東海、在来線駅はJR西日本管理
* 醒ヶ井方 - JR東海
* 彦根方 - JR西日本
** 北陸本線 - 東海道本線彦根方は「琵琶湖線」の愛称有り。

 


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