信州諏訪発気まぐれ親父のブログ

信州から日々の情報・映画・草花・軽登山等‥気まぐれに情報発信していきます

甲州 右左口宿(うばぐちしゅく)

2020-02-29 10:04:21 | 街道巡り

「右左口」を読めるだろうか?「うさぐち?」古くは姥口または祖母口とも書き「うばぐち」と読みます。

   

先日、とんでもなく周り道をさせられた際、気になっていたこの地名の場所にやってきました・・・

先ずはと、奥からと思い集落の奥まで行くと「右左口神社」なるものが・・・看板の後ろには🍄(*´Д`)

奥にお社でもと思い延々歩くも「精進ブルーライン」の道の下まで来てもなんも無し・・・(*´Д`)

甲府盆地の南部、御坂山の北面に沿って南北に延びる曽根丘陵上に形成された集落で、甲斐と駿河を結ぶ

中道往還の宿場町として栄えた場所でした。中道往還は別名右左口道とも呼ばれ、この宿場町の重要さが

伺えます           丁度、梅の花期です 宿場の裏は梅畑が広がって居ました

下祝・上宿にも道祖神はありました

織田信長が往来するため、徳川家康が整備したといわれており、道幅は4.5m、一軒の間口を四間二尺(約7.8m)

に分け、奥行きの長い宿場独特の区画で整備されています。

今も宿場町の雰囲気が随所に残っています・・・・ ?道を撮って居ないのはそう言う事です察して下さい

 地元で「お伊勢さん」

と呼ばれる冷(霊)水の湧出地。昔はこの水が、右左口宿の簡易水道の源でもありました。

                                 ※今は水を汲むことができません

なぜ?お伊勢さんなのだろうか・・・疑問は残ったままだが帰路に着くことにしよう  お伊勢さんか・・

                          この梅畑 ヒヨドリが多く飛び交っていました


甲州街道 「下教来石(しもきょうらいし)」

2019-10-06 12:04:35 | 街道巡り

久しぶりに「甲州街道」巡りを・・・ 長野県との県境に近い場所なので昼休みにちょこっと

いきなりお得意の 手 抜 き !、要は,いわれは諸説ある様ですが、「清ら石」から転じたか日本武尊が東征の折り休憩に

際して座った石を「経て来い石」と呼び由来として村名にしたが書き損じて「教来石」となり今に伝わった説があるそうです

                                 が・・・日本武尊の来訪は伝説の域を出ないそうです

地名の由来となった石を見た所で国道に戻ります  

国道20号線沿いに立つ「明治天皇御小休所跡」何の気なしに通り過ぎてしまいそうですがね・・・この先にある派出所

の向かいを甲府方面から来ると右に入り、旧道を歩きます

道の下には田園風景が広がり、明治天皇が通った際には田植えが行われており、当時は「早乙女」の田植え歌も聞こえたのでしょう

 今回の一番の目的地

諏訪神社 諏訪神社は元和三年(1617)に 造営された教来石の産土神ですが・・・此処にはえっ!?此処に?と思う物が

 

 

 

正面、本殿の中にあるのは諏訪の名工『立川和四郎富昌』の彫刻です 本殿の周りは細かい金網で囲われており光の加減もあり

やっとの思いで金網越しに少しだけ見る事が出来ました。 真ん中の写真左が「手長と足長」最後が「猩々と酒壺」

この彫刻を見るのにやっとでした・・・・ 国道脇の小さな神社に素晴らしい彫刻があるとは知らない方も多いでしょう

  

下教来石の最後は「御膳水跡」こちらも明治天皇がこちらの水を飲みお褒めになられたとか・・・今は枯れ沢ですが・・・

                           さて、この次は上教来石か茅野市の金沢宿か・・・ 気分次第だな~~ 

 


甲州街道「蔦木宿」

2019-06-24 12:30:30 | 街道巡り

五街道のひとつ甲州街道は、江戸日本橋を起点に、内藤新宿、下高井戸、上高井戸、布田五宿、府中、日野、八王子

を通り小仏峠から甲府を経て信州の下諏訪に至る、200キロ強にも及ぶ約53里の道です。

先ずは地元から攻めてみるか?とどれ位の月日が掛かるかは分かりませんが少しづつ歩いて見ようと思います

  

 

下蔦木の敬冠院の庭にある巨岩で、岩はいちめんに蔦とシノブに覆われ、岩上には日蓮上人の石像を祀った小さな祠が安置され、

周囲には近郷信者の寄進による玉垣が配されています。

 

この敬冠院さんからスタートします。 諏訪地方では珍しいビワがなって居ましたね~ 敬冠院さんを後に歩くと

 蔦木宿の入り口です

  

蔦木宿は甲州街道43 番目、信州に入って初の宿場町です。江戸時代には栄えた場所なのでしょう・・・連子格子造りの民家や

当時の屋号を記した木札が下げられているなど旧宿場町の風情が所々に残っています(徐々に無くなりつつはあるようですが)

 蔦木宿の街は街道に面していて、屋敷割りをし、本陣・問屋などが

位置づけられた。本陣の規模は広大で多くの座敷や板敷、土間のほか堂々とした門構えや広い玄関、書院造りの上段の間などを具備

していたが、 現在は、門のみ存在しています。散策の後、気付いたのだがこの訪れた以外にも数カ所の見所があったようです(泣)

 

「かわよけこぼく」と読みます。 お得意の手抜きでごめんなさい。。。 

  

左の葉が「キササゲ」の葉で右が「サイカチ」の葉です。 絡み合って木が伸びているんですね~ 花は「キササゲ」の花です

このキササゲも釜無川流域には生育して居るらしいが今まで気にした事も無かったので始めて見る花でした

 

そしてその奥に「ケヤキ」の大木が立っています。釜無川の氾濫による水害から蔦木宿を守るために、宿の上の入口付近につくられた

信玄堤と呼ばれる堤防があり川除古木は、この信玄堤と共に水害から地域を守るために植えられた川除木の名残りの古木です。

明治31年(1898)の大水のときには、ここの大木を切り倒して集落内に向かおうとする大水の向きをかえ、集落を水害から守った

といわれています。 地元ながら意外と知らない場所が点在します 甲州街道の散策を徐々に? 歩いて見ようかと思っています