今年も身延山久遠寺さんから始まった「古木桜」巡りですが山梨県内の古木桜をやっと
昨年全て回り切れたので今年は是非、やりたかった「身延山参拝登山」をと・・・
ロープウェイ乗り場の横の参拝道を歩きます 頂上まで時間位でしょうと言われたが
本地堂 十丁目 鬼子母神堂入り口
鬼子母神堂 羅刹堂とも呼ばれ鬼子母神、十羅刹女を祀る
身延山11世日朝上人が寛文2年(1662)本山を西谷から現在の地に移転した時、明応3年
(1494年)に宗祖御庵室の柱をもって建立した堂宇と伝えられ三間仏堂の建物で西谷の
法界堂とともに身延山内最古の材料を使った堂宇といわれている。内陣は寛永年間
(1624年~1643年)に、内廊は天明年間(1781年~1788年)に建立したものである。
身延町ホームページより抜粋
先に進み「丈六堂」迄、来たがこちらもいらっしゃらないのかな?と先に進もうと
すると本堂から一人の女性が下りて来るでは無いですか!こちらのご住職?かと思い
お声を掛け御朱印を頂けますか?と聞くと
「良いですよ是非ご本尊様もご覧になってください」と
本堂の鍵を渡して下さり、私がご本尊を拝見して居る間に撒いて下さるとの事・・・
黄金色に輝く「お釈迦様」 一丈六尺のお釈迦様を祀られているので丈六堂と言うらしい
養珠院殿の寄進の丈六の釈尊像と千体仏が安置されている 素晴らしいお姿を拝見出来ました
坊に戻り少しお話をし、私の今回の御朱印帳が素晴らしいのでご自身のSNSに上げさせて
頂きますとの事・・・イエイエこちらこそ素晴らしいお姿を拝見させて頂きました 後にします
以前、ロープウェイで登った最、眼下に広がる「三ツ又」の花を見何れ・・と
朝日を浴びる杉
一度この「ミツマタ」の群生地の画を撮りたい!と思いながら中々機会が無かったので
ミツマタの花を愛でながら進むと大光坊に 此処が丁度、中間地点の様です
こちらでも少しお話しするとミツマタは此処15年位で一気に山中に増えたのだとか?
ご住職いわく「私の考えですが身延の手前の和紙の里、中富からこちらに増えたのでは
無いかと思います。ミツマタは和紙や紙幣の元になるものですから・・・」等話し
三光堂を過ぎると此処からは車も入れない登山道です 三十八丁目から見る富士山
四十一丁目 身延山 山の上東照宮
徳川家康が亡くなられた時、お万の方が身延に詣でられ法要を営まれた折に造立されたそうです
五十丁目あらら・・残念ながら富士山は少し雲が掛かって居ますね
思恩閣に着きました さ~御朱印を頂いて身延山山頂を目指しましょう
素晴らしい達筆ですね・・・書いて頂いて居る間にふと、横を見ると
「ゆるキャン△」の思恩閣限定の御朱印帳がありつい手が出そうになりましたが
此処はじっと「我慢の子」で来年?に持ち越そうかと?(結果欲しいのか!)
山頂です 鳳凰三山 白鳳三山 八ケ岳 富士見山(此処も何れ)
左端に今冬登った「七面山」が見えます『大ガレ』のある場所がそうですね
さっ、帰路は裏参道と呼ばれる西コースを下りたいと思います 明日に続きます