先日の真田丸発祥の地巡りから今度は上田城を中心に回りたいと思います。
がその前に撮りたい画が
上田駅前に行き、「真田幸村公騎馬像」の画を撮ったら、さ~上田城に向かいます。
流石今は人気があるようで城内の駐車場はいっぱい 第二駐車場に車を止め此処から戦国ルート外回りの始まり
第二駐車場から正面入り口に向かうと路面電車の走っていた頃の「公園下停留場ホーム跡」がある。
お濠が線路だった名残です。公園内に入ると今だけ限定の「真田丸 大河ドラマ館」があります。
もちろん中は撮影禁止なので通り過ぎちゃいます。
上田城の入り口には「真田十勇士」に扮した若者がおり、観光客の方に気持ちの良い挨拶と気軽に撮影に
応じておりました。時間で演武もあるみたいですね
奥に進むと「真田神社」が・・・先のブログに書いた通りこちらの真田神社は本来「松平神社」
である事が右の『趣意書』に書かれております
真田井戸は上田市の北側2キロの太郎山の中腹にある井戸と秘密の抜け穴で結ばれていると言われています。
ホントかな~ 試したいね!!今回は外回りを回りたいのでお城の後ろから出て北に向かいます。
散歩途中の方に「芳泉寺」はこの道で良いですか?と聞くと「距離あるよ・・」「15分位歩くかな~」
あ~そんな物かとテクテク。
おお~~いい街並みだな~ 新町と言うらしい 何故か歩いていてホッとするいい街並みです
しばらく歩くと出た先にありました
変わった入口だな~と思うと、隣は幼稚園が併設されていますが中々由緒正しい寺院らしく
浄土宗。開創当時は常福寺と称し、真田信之の菩提寺でした。信之の正室小松姫の墓があります。
信之の後に上田城主となった仙石忠政が小諸の宝仙寺をここに移し、円覚院芳泉寺としました。
徳川と真田の中を取り持った小松姫(本多忠勝の娘→真田信之の正室)らしく
山門・本堂には六文銭と三つ葉葵の紋が入っている。
次に向かったのが「向源寺」さんです。仁知2年(1241年)池田采女が上田原の地に道場を建立したと
伝えられ、寛永年間に現在地に移ったといいます。
俳人小林一茶は江戸に赴く前の数年間をここで過ごしたそうです。
俳人・小林一茶は江戸に赴く前の数年間をこの寺で過ごしたそうですよ。第14世の換沼氏は学問の長
である寮司(りょうす)という立場にあったそうで、和歌もたしなんで一茶とは親交が深かったとようです
一茶の手紙や柱かけが数多く残っているそうです。
町中歩きの楽しみにこんなのは如何でしょう? どこの市町村に行っても必ずその町の特徴を生かした
「マンホールの蓋」があります。上田はやはり「六文銭」と「上田城の桜」がモチーフになっているんですね~
マンホールの蓋を撮って居ると写真を教えてくれた方を思い出します
向源寺さんを後に「矢出沢川」添いを歩き町中に戻ると・・・中々面白そうなお店がありました。
ずいぶん可愛いプテラノドンだな~ しばしの街歩きです
旧北国(ほっこく)街道に入りました。正直、やっとだ~~(後に訳を)と、この突き当りの左に一軒
のお店が・・・暖簾が妙に気になり
取りあえずと、店内に入り眺めているとこちらのお味噌で作ったお味噌汁を試食させてくれると言う。
では、と頂くと・・・あっ美味しい五臓六腑に染み渡る・・・考えてみれば朝から何も食べていない・・・
『特茶』を一本飲んでるだけだった。いや!そう言う訳では無く美味しかった
それでもやはり気になるのが『武田菱』 何故に?と女将さんに伺ってみた。すると 武田みそは武田信玄の
次男・竜芳(海野二郎信親)の子孫であり、1930年からこの地でみそ造りを始めているそうです。
そうなんだ~ 海野家かなるほどな~ とお味噌とおかず味噌を頂き次へ
柳町に入り何処か食べる処をと探していると
お店の前で如何にも美味しそうに食べている女性たちが・・・美味しそうだな・・女房のお土産と私の
つまみで少し買っていこうかな~と で、先に書きますが・・・いや~失敗しました!!
『うさぎ餅』もっと買って来れば良かった~ 実に美味しかった!! 他も美味しかったんですけどね。
イチゴ大福も特徴的で美味しかったですよ。次回は
柳町で最も楽しみに来たのは・・そうなんです作り酒屋さんがある事は解って居たので柳町を最後に
回ったんですよ~ 重くなることは承知してますからこの『岡崎酒造』さん2003年から杜氏としては
珍しい、日本で25人しか居ない女性杜氏なんですよ~ 勉強家の様で自身が杜氏になっても代々続く杜氏
からもちゃんと技術を教えて貰っているそうです。中々出来る事じゃないですよ。時期柄古くから伝わる
お雛様が飾られて居ました。なんだかんだで両手に重い荷物になってしまいましたが最後どうしても寄り
たい処があり上田城に戻ったのですが・・・いくら探しても無い!前の場所に無い!上田観光会館ならば
何か手掛かりがと、二階の観光課に向かい聞いてみると「山本 鼎(やまもとかなめ)」の展示はサント
ミューゼ内上田市立博物館内に移動したとか・・・「農民美術」の普及と芸術性を追求した方で今でも
この地では農民美術の彫刻などを行っている会もある程です。 いや~残念と、いうか・・・結果・柳町
まで来た時には既に3時近く、飲食店は既に終わり・・・
帰路どこかでラーメンでもと思いもしたが・・もう、イイや 夕飯まで我慢しよ
最後は今回の自宅への おみや~~ 次に来る時はと胸に刻み込みました・・・
長いブログになっちゃたな~ 飽きないでね~