「右左口」を読めるだろうか?「うさぐち?」古くは姥口または祖母口とも書き「うばぐち」と読みます。
先日、とんでもなく周り道をさせられた際、気になっていたこの地名の場所にやってきました・・・
先ずはと、奥からと思い集落の奥まで行くと「右左口神社」なるものが・・・看板の後ろには🍄(*´Д`)
奥にお社でもと思い延々歩くも「精進ブルーライン」の道の下まで来てもなんも無し・・・(*´Д`)
甲府盆地の南部、御坂山の北面に沿って南北に延びる曽根丘陵上に形成された集落で、甲斐と駿河を結ぶ
中道往還の宿場町として栄えた場所でした。中道往還は別名右左口道とも呼ばれ、この宿場町の重要さが
伺えます 丁度、梅の花期です 宿場の裏は梅畑が広がって居ました
下祝・上宿にも道祖神はありました
織田信長が往来するため、徳川家康が整備したといわれており、道幅は4.5m、一軒の間口を四間二尺(約7.8m)
に分け、奥行きの長い宿場独特の区画で整備されています。
今も宿場町の雰囲気が随所に残っています・・・・ ?道を撮って居ないのはそう言う事です察して下さい
地元で「お伊勢さん」
と呼ばれる冷(霊)水の湧出地。昔はこの水が、右左口宿の簡易水道の源でもありました。
※今は水を汲むことができません
なぜ?お伊勢さんなのだろうか・・・疑問は残ったままだが帰路に着くことにしよう お伊勢さんか・・
この梅畑 ヒヨドリが多く飛び交っていました