九州の静かな町で生活している17歳の岩戸鈴芽は、”扉”を探しているという青年宗像草太
に出会う。草太の後を追って山中の廃虚にたどり着いた鈴芽は、そこにあった古い扉に手
を伸ばす。やがて、日本各地で扉が開き始めるが、それらの扉は向こう側から災いを
もたらすのだという。鈴芽は、災いの元となる扉を閉めるために旅立つ
311で家族を失った少女が、親戚に引き取られて宮崎に住んでいた。 ある日廃墟を巡る
不思議な青年と出会ったところから物語がはじまる、といった感じのスタートでしょうか。
スタートは宮崎でしたが、そこから愛媛(芸予)、神戸(阪神淡路)、東京(関東)、福島と舞台
が進んでいくところからも、モチーフとして地震を扱っているという点はこの時点で十分
理解できる構成でしょうね。只ね・・・ローソン、au、マクドナルドにSpotify、更には
クロネコヤマトのトラックなどがしれっと登場します。きっと、これらの企業から映画を
制作するにあたり、お金(出資)を出してもらったお礼と言ってはなんですが、劇中に
企業名や商品を出しているんだなぁ~と考えながら観賞しました。少し引きますね・・・
日本を縦断して災害の原因を閉じていく!というコンセプトからして面白さやスペク
タクルは保証されていたと思います。 只、圧倒的な面白さや感動には至らなかった?
大きな原因として、鈴芽の草太に対する恋心が全く共感出来ない点です。 恋愛設定は
後半、物語を展開かせる大きな軸の一つなのに、ずっと子供椅子のままの草太を好きに
なるという設定に強引さを感じてしまいました。 観客は人型の草太を最初の15分しか
見れていない訳で、その後の無機質な椅子との珍道中が物語の中で恋愛に発展しよう
とも、観客の心は置き去りのままです。 さらに他の人たちも指摘しているように
ダイジンやサダイジンの行動や常世の存在、子供の頃の記憶の答え合わせなどなど・・
イマイチ腑に落ちない設定が上手く噛み合っておらず、詰め込みたい要素がとっ散ら
かってるのは? 監督や制作サイドの思いの強さ、絵の美しさは素晴らしいと思います
もう少し恋愛に至る感情の軸を観客にも共感できるよう描いて欲しかったです。
そもそも草太が椅子になる必要性あったのか?という根本部分が最後まで気になりました
11年前の東日本大震災をどこで、どう過ごしたか。 それによって受け止め方
刺さり方が全く違う作品だな、と。 ☆☆★