久しぶりに「甲州街道」巡りを・・・ 長野県との県境に近い場所なので昼休みにちょこっと
いきなりお得意の 手 抜 き !、要は,いわれは諸説ある様ですが、「清ら石」から転じたか日本武尊が東征の折り休憩に
際して座った石を「経て来い石」と呼び由来として村名にしたが書き損じて「教来石」となり今に伝わった説があるそうです
が・・・日本武尊の来訪は伝説の域を出ないそうです
地名の由来となった石を見た所で国道に戻ります
国道20号線沿いに立つ「明治天皇御小休所跡」何の気なしに通り過ぎてしまいそうですがね・・・この先にある派出所
の向かいを甲府方面から来ると右に入り、旧道を歩きます
道の下には田園風景が広がり、明治天皇が通った際には田植えが行われており、当時は「早乙女」の田植え歌も聞こえたのでしょう
今回の一番の目的地
諏訪神社 諏訪神社は元和三年(1617)に 造営された教来石の産土神ですが・・・此処にはえっ!?此処に?と思う物が
正面、本殿の中にあるのは諏訪の名工『立川和四郎富昌』の彫刻です 本殿の周りは細かい金網で囲われており光の加減もあり
やっとの思いで金網越しに少しだけ見る事が出来ました。 真ん中の写真左が「手長と足長」最後が「猩々と酒壺」
この彫刻を見るのにやっとでした・・・・ 国道脇の小さな神社に素晴らしい彫刻があるとは知らない方も多いでしょう
下教来石の最後は「御膳水跡」こちらも明治天皇がこちらの水を飲みお褒めになられたとか・・・今は枯れ沢ですが・・・
さて、この次は上教来石か茅野市の金沢宿か・・・ 気分次第だな~~
そうなんです❗
諏訪市の手長神社にはこの彫刻がないのになぜここに?なのです
手長神社の宮司さんと実家の兄とで5年ほど前に見に行って
ここの宮司さんが手長の宮司さんがお友達でお話をお聞きした覚えがあります
いろいろな本にはこの手長足長の彫刻は必ず載っていますね
不思議なんですよ
私も一番最初に思ったのが、何故?諏訪の
足長神社にも手長神社にもあると言う話は聞いて
無いのに・・・此処? 確かに諏訪神社ですが・・・
不思議ですね~ でも、そこからは深堀しないのが気まぐれ親父です。
良い物を見せて頂けるだけで充分なので
此れからも又、何処かで見つけるかも知れません