3月8日の今日は、小説家・五味川純平の1995(平成7)年の忌日 <78歳>
五味川純平は、1916(大正5)年3月15日、中国大連に近い寒村に生まれる。1933(昭和8)年大連一中卒業。満鉄(南満州鉄道)奨学資金給付生となり、東京商科大学(現一橋大学)予科入学するも、中退。東京外国語学校(現東京外国語大学)英文科卒業後、旧満州)・鞍山(現在の遼寧省)の昭和製鋼所に入社。1943(昭和18)年召集を受け、満州東部国境各地を転々とし、1945(昭和20年)年8月のソ連軍の満州侵攻時には、所属部隊はソ連軍部隊の攻撃を受けて全滅に近く、生存者は五味川以下数名だったという。捕虜となり、1948(昭和23)年の引き揚げ後、自らの従軍体験を基にして、非人間的な軍隊組織と個人との闘いをテーマに書き下ろした『人間の條件』(全6部。三一新書が1956年-1958年発刊)が1,300万部を超える大ベストセラーとなり、一躍人気作家となった。
この『人間の条件』がベストセラーとなったきっかけは、1958(昭和33)年2月16日号の「週間朝日」のトップ記事、「隠れたベストセラー」で、7ページにわたって扱われたことによるという。このことについて、朝日クロニクル週間20世紀(1958年号)には以下のように書いてある。“ その記事の前文には、「新聞の広告にも出ない、批評家にもほとんど問題にされない1冊の本が、いま農村で、町で、職場で、家庭で読まれている。無名の新人五味川純平氏の『人間の条件』(六部作)」がそれである。この1年間ですでに19万部売れ、しかも尻上がりに次第に版を重ねているという。この本のどこが現代人に訴えているのであろう」。僥倖(ぎょうこう=思いがけない幸運)とも言うべきヨイショだった”・・・と。そして、“この本は、いくつもの出版社をタライ回しにされた後、三一書房へ持ち込まれた作品だったが、社長の竹村一は、1、2巻の900枚を一気に読み終え、その場で出版を決めたという。何が彼を?そこには、「無辜(むこ=〔「辜」は罪の意〕罪のないこと。また、その者。)な中国人に対する日本帝国主義の侵略戦争であることを知りながら、日中戦争(支那事変)へ一兵士として駆り立てられた2人であった。その心の傷の共有は、同時代の人間の域をはるかに超えた厳しさと連帯があった」という竹村の共犯意識があった。”からだと・・・。
三一書房は、竹村一が1945(昭和20)年に、京都で創業。後、東京に移転。会社名は、日本の朝鮮統治時代に、1919年(大正8)3月1日から約1年間にわたって起こった朝鮮「民族」の独立運動「三・一独立運動」(以下参考に記載の「※三・一運動」など参照)に由来している。出版物は、おもに社会問題に関する書籍、概ね反体制・反権力的な姿勢を貫いたものが多いようだ。
その後も五味川は同じ、三一書房から大作『戦争と人間』(全18巻。1965年-1982年)を発刊しているほか『ノモンハン』(1975年文芸春秋)、『ガダルカナル』(文芸春秋、1980年)など、数々の戦争文学を世に問う。これらの中、『人間の條件』は、小林正樹監督により、同名で全6部構成で映画化され、1/2部は1959年(1月)、3/4部は同年(11月)、5/6部は1961年に公開された。反戦思想を持ちながら、日本の傀儡国家・満州の国策会社満鉄に勤めていた主人公の梶は、大儀名分のない太平洋戦争に刈り出され、ソ連国境で敗戦を迎える。生き残ったのは僅か3人。死地を逃れ挙句にソ連兵の捕虜となる。収容所には生き延びた3人の中の1人桐原がいて、捕虜を管理していた。その桐原を殺して、逃げ出した梶は愛妻美千子のもとへたどりつこうと荒野をさまよいついに命はてる。戦争文学ではあるが、戦時中の日本軍の暴虐と、それに反抗したインテリ兵の逆境と敗戦、逃亡、死を見事に描いた作品であり、当時の多くのスター俳優/女優をキャスティングした大作映画で、総上映時間は9時間38分に及び、制作当時は商業用映画としては最長の長さであった。第23回ベニス国際映画祭サン・ジョルジュ賞(銀賞)を受賞している。
『戦争と人間』も、1970年~1973年に、山本薩夫監督により同名で、史上最大の9時間23分にわたる戦争大河超大作(3部構成で、第一部「運命の序曲」 1970年/197分 、第二部「愛と悲しみの山河」 1971年/179分、 第三部「完結編」 1973年/187分) として製作され、日活配給で公開された。大規模な戦闘シーンは、ソ連軍の協力で撮影された。当初は4部作を予定していたが、豪華キャスト(ここ参照)・本格的な戦闘シーン・海外ロケと日本の映画史上でも屈指の大作であったため、当時の日活の財政事情もあり結果的に予算が続かず、第3部で完結を強いられたのだという。
1931(昭和6)年の満州事変前夜から1939(昭和14)年のノモンハン事件までを背景に、様々な層の人間の生き様から死に様までを描いた複雑多岐な人間群像ドラマであり、その後の太平洋戦争に至る経緯について丁寧に表現されている。 日本の立場を侵略行為と明確に定義付け、歴史的検証に基づいて製作されたという。
五味川純平の生涯のテーマは、戦争の非人間性、不条理さを描くことにより、戦前日本を告発することであった。
彼は、冒頭の経歴にも書いたように、ソ満国境各地を転戦し、1945(昭和20)年)8月、ソ連との交戦で所属部隊は全滅し、捕虜となっている。そんな彼の『人間の条件』に繋がる戦争体験を短編小説化した作品『不帰の暦』が、1977年夏『別冊文藝春秋』(140号)に掲載された(以下参考に記載の「日本ペンクラブ:電子文藝館」に『不帰の暦』が掲載されているので参照)。
その中には、実際に体験した者でなければ決して描くことの出来ない、人間尊厳の極限を克明に描写してる。
映画好きの私は、五味川純平の小説は読んでいないが、「人間の条件」も「戦争と人間」も映画は見た。
「戦争と人間」三部作の中でも、完結篇を見れば映画は見たと言えるかも知れない。
この完結篇の中で、反戦活動を問われ、同志の田島とともに投獄された伍代俊介は、伍代家の威光で、拷問と闘う田島を残して獄から解かれた。自らの矛盾に悩む俊介は、対ソ戦の第一線に一兵卒として銃を取る。昭和14年の満州と外蒙古の国境ノモンハンでの国境紛争からソ連軍との間に大規模な戦闘が開始されるが、この戦いで、日本軍は高度に機械化された物量を誇るソ連軍、つまり、とっても勝てるはずがないソ連軍に惨敗。俊介の所属する部隊も、ソ連の戦車軍団によって徹底的に壊滅する。青年将校柘植(伍代家の長女・由紀子が愛していたにもかかわらず、政略結婚のため結婚できなかった相手)は、砲弾が炸裂する中を、ソ連軍の陣地に斬り込み、壮烈な最期をとげた。戦いというよりも、日本軍司令部の苛酷な命令に従った死の突撃だった。天を焦がすどす黒い硝煙の下、累々と地を覆う日本兵の死体。ノモンハンの荒野は墓場と化し、生き残った僅かの帰還部隊がハイラルの街を行く。放心した隊列の中に俊介の姿もあった……。この時、ヨーロッパでは、ナチスがポーランドを占領。やがて、大戦の炎は、不気味に膨張した日本ファシズムを捲き込んでいった……。ノモンハンでの俊介は、まさに、『不帰の暦』の中で昭和20年8月にソ連と戦った“私”・・・つまり、五味川の体験したことであろう。
総力を挙げて小国を守り抜こうという気風は日露戦争まで続いていた。大山巌も児玉源太郎もかって維新で山野を駆け巡った無名の青年で、この戦争の難しさをよく知っており、だからこそ戦争の終わらせ方についての政府の苦悩を分かつことが出来た。「終戦」という言葉は、大東亜戦争(太平洋戦争)にではなく日露戦争の終りにこそふさわしいものであったはずであり、乃木希典にもこの苦悩はわかっていたであろうが、彼の作戦はたくみであったとは言えなかった。しかし、その作戦上の失敗は、日露戦後の陸軍の総花式の勝利美化の正史の中に隠され、そのような集団が一丸となって仲間の失敗を隠す風習は、やがて、陸軍幹部と報道陣を巻き込み、行き詰まった日中戦争を打開するためにより大規模な戦争への道へと進み、昭和14年、ノモハンでの、全く戦力的に太刀打ちできないソ連・外蒙軍と日本陸軍が衝突、そこで大失敗した事実を隠し通すという集団犯罪ともいえるものに発展した。その当時、ヨーロッパで第二次大戦が勃発し、ドイツは翌年5月にオランダ・ベルギー、6月にはフランスを降伏させた。ノモハンの敗北によりソ連との戦争(北進)を数年間控えなければならなくなった日本の支配層は、ドイツの勝利に便乗し、ドイツと提携してフランス・オランダ・イギリス支配下の東南アジアへの進出(南進)をはかろうとし、9月、日本軍は北部仏印に進駐し、さらに27日ドイツ・イタリアとの三国軍事同盟に調印し、日米関係を緊張させた。以後、日本陸軍は日中戦争の戦火に固執して、日米交渉を決裂させ、対米海戦に追い込まれてゆく。
もし、ノモハンでの大敗の事実が国民に知らされていたとしたら、「大東亜戦争」は、少なくとも開始しにくさを増していたであろうことは、私の持っている蔵書「週間朝日百科・日本の歴史」にも書いてある通りである。ノモハン事件と同じ様に戦力面で勝てるはずもなく負けると分かっている戦争に刈り出され、その様な戦争に疑問を持ちながらも自分が負けるとわかっていながら不条理にも部下に対して戦うことを命令し大勢死なせてきた。そのような地獄を見、体験してきた五味川は、生き残ったものの勤めとして、どうしても、その様な戦争を始め、多くの国民を死なせた日本の支配層(天皇をも含む)を糾弾せずには居られなかったのだろう。
彼の反戦思想で書かれた『人間の条件』などは、当時のマスコミには、取り上げられることもなかったものが、僥倖にも、三一書房の竹村一によって出版されたということである。
人間が人間として生きる。そのための人間の条件は・・・?
環境破壊、民族紛争、いじめ・過労死に見られる生命の尊厳の危機等に見舞われている現代は現代で、現代人が抱え込んだ深刻な問題が数知れずある。そのようななかで、限りない人間の欲望と人間が人間らしく生きること。哲学として「人間の条件」をどのように考えてゆけば良いのだろうか・・・?今、世界で起っている経済危機もそのような見地から見直さなければいけないのではないかと考えさせられるのだが・・・。
(画像は、映画「戦争と人間」完結篇のパンフレット。)
参考:
五味川純平 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E5%91%B3%E5%B7%9D%E7%B4%94%E5%B9%B3
三一書房 – Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E4%B8%80%E6%9B%B8%E6%88%BF
三・一独立運動 – Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E3%83%BB%E4%B8%80%E7%8B%AC%E7%AB%8B%E9%81%8B%E5%8B%95
※三・一運動
http://www.tabiken.com/history/doc/H/H125C100.HTM
五味川純平 (ゴミカワジュンペイ) - goo 映画
http://movie.goo.ne.jp/cast/104360/
日本ペンクラブ:電子文藝館 (「不帰の暦」五味川純平あり)
http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/
ノモンハン事件 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%8F%E3%83%B3
山本薩夫 (ヤマモトサツオ)-goo映画
http://movie.goo.ne.jp/cast/86611/index.html
戦史 満ソ国境紛争/ノモンハン事件 1
http://yokohama.cool.ne.jp/esearch/kindai/kindai-kokkyo21.html
ノモンハンの戦い
http://www.geocities.jp/fujimoto_yasuhisa/isizaka/honbun/st12.htm
映画評論 人間の條件通し
http://www.sakawa-lawoffice.gr.jp/sub5-2-b-05-110ninngennnozyouken.htm
九州大学谷本潤博士の文学館 現代恋愛小説ベスト10選
http://ktlabo.cm.kyushu-u.ac.jp/j/tanimoto/bungaku.html
五味川純平は、1916(大正5)年3月15日、中国大連に近い寒村に生まれる。1933(昭和8)年大連一中卒業。満鉄(南満州鉄道)奨学資金給付生となり、東京商科大学(現一橋大学)予科入学するも、中退。東京外国語学校(現東京外国語大学)英文科卒業後、旧満州)・鞍山(現在の遼寧省)の昭和製鋼所に入社。1943(昭和18)年召集を受け、満州東部国境各地を転々とし、1945(昭和20年)年8月のソ連軍の満州侵攻時には、所属部隊はソ連軍部隊の攻撃を受けて全滅に近く、生存者は五味川以下数名だったという。捕虜となり、1948(昭和23)年の引き揚げ後、自らの従軍体験を基にして、非人間的な軍隊組織と個人との闘いをテーマに書き下ろした『人間の條件』(全6部。三一新書が1956年-1958年発刊)が1,300万部を超える大ベストセラーとなり、一躍人気作家となった。
この『人間の条件』がベストセラーとなったきっかけは、1958(昭和33)年2月16日号の「週間朝日」のトップ記事、「隠れたベストセラー」で、7ページにわたって扱われたことによるという。このことについて、朝日クロニクル週間20世紀(1958年号)には以下のように書いてある。“ その記事の前文には、「新聞の広告にも出ない、批評家にもほとんど問題にされない1冊の本が、いま農村で、町で、職場で、家庭で読まれている。無名の新人五味川純平氏の『人間の条件』(六部作)」がそれである。この1年間ですでに19万部売れ、しかも尻上がりに次第に版を重ねているという。この本のどこが現代人に訴えているのであろう」。僥倖(ぎょうこう=思いがけない幸運)とも言うべきヨイショだった”・・・と。そして、“この本は、いくつもの出版社をタライ回しにされた後、三一書房へ持ち込まれた作品だったが、社長の竹村一は、1、2巻の900枚を一気に読み終え、その場で出版を決めたという。何が彼を?そこには、「無辜(むこ=〔「辜」は罪の意〕罪のないこと。また、その者。)な中国人に対する日本帝国主義の侵略戦争であることを知りながら、日中戦争(支那事変)へ一兵士として駆り立てられた2人であった。その心の傷の共有は、同時代の人間の域をはるかに超えた厳しさと連帯があった」という竹村の共犯意識があった。”からだと・・・。
三一書房は、竹村一が1945(昭和20)年に、京都で創業。後、東京に移転。会社名は、日本の朝鮮統治時代に、1919年(大正8)3月1日から約1年間にわたって起こった朝鮮「民族」の独立運動「三・一独立運動」(以下参考に記載の「※三・一運動」など参照)に由来している。出版物は、おもに社会問題に関する書籍、概ね反体制・反権力的な姿勢を貫いたものが多いようだ。
その後も五味川は同じ、三一書房から大作『戦争と人間』(全18巻。1965年-1982年)を発刊しているほか『ノモンハン』(1975年文芸春秋)、『ガダルカナル』(文芸春秋、1980年)など、数々の戦争文学を世に問う。これらの中、『人間の條件』は、小林正樹監督により、同名で全6部構成で映画化され、1/2部は1959年(1月)、3/4部は同年(11月)、5/6部は1961年に公開された。反戦思想を持ちながら、日本の傀儡国家・満州の国策会社満鉄に勤めていた主人公の梶は、大儀名分のない太平洋戦争に刈り出され、ソ連国境で敗戦を迎える。生き残ったのは僅か3人。死地を逃れ挙句にソ連兵の捕虜となる。収容所には生き延びた3人の中の1人桐原がいて、捕虜を管理していた。その桐原を殺して、逃げ出した梶は愛妻美千子のもとへたどりつこうと荒野をさまよいついに命はてる。戦争文学ではあるが、戦時中の日本軍の暴虐と、それに反抗したインテリ兵の逆境と敗戦、逃亡、死を見事に描いた作品であり、当時の多くのスター俳優/女優をキャスティングした大作映画で、総上映時間は9時間38分に及び、制作当時は商業用映画としては最長の長さであった。第23回ベニス国際映画祭サン・ジョルジュ賞(銀賞)を受賞している。
『戦争と人間』も、1970年~1973年に、山本薩夫監督により同名で、史上最大の9時間23分にわたる戦争大河超大作(3部構成で、第一部「運命の序曲」 1970年/197分 、第二部「愛と悲しみの山河」 1971年/179分、 第三部「完結編」 1973年/187分) として製作され、日活配給で公開された。大規模な戦闘シーンは、ソ連軍の協力で撮影された。当初は4部作を予定していたが、豪華キャスト(ここ参照)・本格的な戦闘シーン・海外ロケと日本の映画史上でも屈指の大作であったため、当時の日活の財政事情もあり結果的に予算が続かず、第3部で完結を強いられたのだという。
1931(昭和6)年の満州事変前夜から1939(昭和14)年のノモンハン事件までを背景に、様々な層の人間の生き様から死に様までを描いた複雑多岐な人間群像ドラマであり、その後の太平洋戦争に至る経緯について丁寧に表現されている。 日本の立場を侵略行為と明確に定義付け、歴史的検証に基づいて製作されたという。
五味川純平の生涯のテーマは、戦争の非人間性、不条理さを描くことにより、戦前日本を告発することであった。
彼は、冒頭の経歴にも書いたように、ソ満国境各地を転戦し、1945(昭和20)年)8月、ソ連との交戦で所属部隊は全滅し、捕虜となっている。そんな彼の『人間の条件』に繋がる戦争体験を短編小説化した作品『不帰の暦』が、1977年夏『別冊文藝春秋』(140号)に掲載された(以下参考に記載の「日本ペンクラブ:電子文藝館」に『不帰の暦』が掲載されているので参照)。
その中には、実際に体験した者でなければ決して描くことの出来ない、人間尊厳の極限を克明に描写してる。
映画好きの私は、五味川純平の小説は読んでいないが、「人間の条件」も「戦争と人間」も映画は見た。
「戦争と人間」三部作の中でも、完結篇を見れば映画は見たと言えるかも知れない。
この完結篇の中で、反戦活動を問われ、同志の田島とともに投獄された伍代俊介は、伍代家の威光で、拷問と闘う田島を残して獄から解かれた。自らの矛盾に悩む俊介は、対ソ戦の第一線に一兵卒として銃を取る。昭和14年の満州と外蒙古の国境ノモンハンでの国境紛争からソ連軍との間に大規模な戦闘が開始されるが、この戦いで、日本軍は高度に機械化された物量を誇るソ連軍、つまり、とっても勝てるはずがないソ連軍に惨敗。俊介の所属する部隊も、ソ連の戦車軍団によって徹底的に壊滅する。青年将校柘植(伍代家の長女・由紀子が愛していたにもかかわらず、政略結婚のため結婚できなかった相手)は、砲弾が炸裂する中を、ソ連軍の陣地に斬り込み、壮烈な最期をとげた。戦いというよりも、日本軍司令部の苛酷な命令に従った死の突撃だった。天を焦がすどす黒い硝煙の下、累々と地を覆う日本兵の死体。ノモンハンの荒野は墓場と化し、生き残った僅かの帰還部隊がハイラルの街を行く。放心した隊列の中に俊介の姿もあった……。この時、ヨーロッパでは、ナチスがポーランドを占領。やがて、大戦の炎は、不気味に膨張した日本ファシズムを捲き込んでいった……。ノモンハンでの俊介は、まさに、『不帰の暦』の中で昭和20年8月にソ連と戦った“私”・・・つまり、五味川の体験したことであろう。
総力を挙げて小国を守り抜こうという気風は日露戦争まで続いていた。大山巌も児玉源太郎もかって維新で山野を駆け巡った無名の青年で、この戦争の難しさをよく知っており、だからこそ戦争の終わらせ方についての政府の苦悩を分かつことが出来た。「終戦」という言葉は、大東亜戦争(太平洋戦争)にではなく日露戦争の終りにこそふさわしいものであったはずであり、乃木希典にもこの苦悩はわかっていたであろうが、彼の作戦はたくみであったとは言えなかった。しかし、その作戦上の失敗は、日露戦後の陸軍の総花式の勝利美化の正史の中に隠され、そのような集団が一丸となって仲間の失敗を隠す風習は、やがて、陸軍幹部と報道陣を巻き込み、行き詰まった日中戦争を打開するためにより大規模な戦争への道へと進み、昭和14年、ノモハンでの、全く戦力的に太刀打ちできないソ連・外蒙軍と日本陸軍が衝突、そこで大失敗した事実を隠し通すという集団犯罪ともいえるものに発展した。その当時、ヨーロッパで第二次大戦が勃発し、ドイツは翌年5月にオランダ・ベルギー、6月にはフランスを降伏させた。ノモハンの敗北によりソ連との戦争(北進)を数年間控えなければならなくなった日本の支配層は、ドイツの勝利に便乗し、ドイツと提携してフランス・オランダ・イギリス支配下の東南アジアへの進出(南進)をはかろうとし、9月、日本軍は北部仏印に進駐し、さらに27日ドイツ・イタリアとの三国軍事同盟に調印し、日米関係を緊張させた。以後、日本陸軍は日中戦争の戦火に固執して、日米交渉を決裂させ、対米海戦に追い込まれてゆく。
もし、ノモハンでの大敗の事実が国民に知らされていたとしたら、「大東亜戦争」は、少なくとも開始しにくさを増していたであろうことは、私の持っている蔵書「週間朝日百科・日本の歴史」にも書いてある通りである。ノモハン事件と同じ様に戦力面で勝てるはずもなく負けると分かっている戦争に刈り出され、その様な戦争に疑問を持ちながらも自分が負けるとわかっていながら不条理にも部下に対して戦うことを命令し大勢死なせてきた。そのような地獄を見、体験してきた五味川は、生き残ったものの勤めとして、どうしても、その様な戦争を始め、多くの国民を死なせた日本の支配層(天皇をも含む)を糾弾せずには居られなかったのだろう。
彼の反戦思想で書かれた『人間の条件』などは、当時のマスコミには、取り上げられることもなかったものが、僥倖にも、三一書房の竹村一によって出版されたということである。
人間が人間として生きる。そのための人間の条件は・・・?
環境破壊、民族紛争、いじめ・過労死に見られる生命の尊厳の危機等に見舞われている現代は現代で、現代人が抱え込んだ深刻な問題が数知れずある。そのようななかで、限りない人間の欲望と人間が人間らしく生きること。哲学として「人間の条件」をどのように考えてゆけば良いのだろうか・・・?今、世界で起っている経済危機もそのような見地から見直さなければいけないのではないかと考えさせられるのだが・・・。
(画像は、映画「戦争と人間」完結篇のパンフレット。)
参考:
五味川純平 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E5%91%B3%E5%B7%9D%E7%B4%94%E5%B9%B3
三一書房 – Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E4%B8%80%E6%9B%B8%E6%88%BF
三・一独立運動 – Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E3%83%BB%E4%B8%80%E7%8B%AC%E7%AB%8B%E9%81%8B%E5%8B%95
※三・一運動
http://www.tabiken.com/history/doc/H/H125C100.HTM
五味川純平 (ゴミカワジュンペイ) - goo 映画
http://movie.goo.ne.jp/cast/104360/
日本ペンクラブ:電子文藝館 (「不帰の暦」五味川純平あり)
http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/
ノモンハン事件 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%8F%E3%83%B3
山本薩夫 (ヤマモトサツオ)-goo映画
http://movie.goo.ne.jp/cast/86611/index.html
戦史 満ソ国境紛争/ノモンハン事件 1
http://yokohama.cool.ne.jp/esearch/kindai/kindai-kokkyo21.html
ノモンハンの戦い
http://www.geocities.jp/fujimoto_yasuhisa/isizaka/honbun/st12.htm
映画評論 人間の條件通し
http://www.sakawa-lawoffice.gr.jp/sub5-2-b-05-110ninngennnozyouken.htm
九州大学谷本潤博士の文学館 現代恋愛小説ベスト10選
http://ktlabo.cm.kyushu-u.ac.jp/j/tanimoto/bungaku.html